おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

いにしへの御代の教にもとづきてひらけゆく世にたたむとぞ思ふ

 

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和歌原文

いにしへのみよのおしへにもとづきて

ひらけゆくよにたたむとぞおもふ

 

いにしへの 御代の教にもとづきて

ひらけゆく世にたたむとぞ思ふ

 

明治天皇

 

現代語訳と文法

むかしの時代の教えにもとづいて、開いていく未来にたちむかっていこうと思う。

 

文法はこちら↓

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鑑賞のポイント 

①「2月11日」は何の日? 

 このブログ投稿の2月11日は何の日かご存じだろうか?そう!

建国記念の日」 である。

初代天皇 神武天皇が橿原の地(現在の奈良県橿原神宮の場所)で即位したのが2月11日と『日本書記』に記されている。

ということで、本日は「建国記念の日」となりました。

 

②「建国記念の日」の「の」ってなに?

 「建国記念日」ではなく、「建国記念日」なのはなぜでしょうか。もともと、明治時代に「紀元節」という建国を記念する日がありました。

しかし、戦争に負けGHQによって廃止を命じられちゃいます。ところが昭和に入り、もう一度復活させよう!という運動が起こり、

1966年(昭和41年)祝日に加えられ、翌年から適用されました。

 

その際に「そもそも本当にこの日に神武天皇は即位したの?」「神武天皇がいた科学的根拠はない!」などなど野党から批判もあったため、あくまで

「この日に日本はできました!」というようりは・・・

「日本ができたことを記念している日」

というちょっと曖昧な表現にしました。

それが「の」の役割です。

 

③日本は建国何年目? 

皇紀(こうき)」という日本独自の年代のあらわしかたがあります。この場合、神武天皇即位の年を元年としており

今年2019年は・・・

 

皇紀二六七九年

 

この計算の仕方は簡単です

今の西暦+660年=皇紀

2019年+660年=皇紀2679年

 

日本は本当にすごい長い歴史をもった国なんですね!

 

④世界から見た、日本の皇室の長さ

例えば、皇室・王室の長さでよくいわれるのが、下記です。

1 天皇家     125代 

2 デンマーク王室 54代

3 イギリス王室  40代

世界一長く続く天皇家

 

「だからどうした?」と斜めに見ずに・・・単純にすごい!継続するものには価値があるですね。

 

⑤建国の理念を知る意義

よく「おかげさまで100周年」というような企業CMを見ないでしょうか。あれは2つの目的があります。

1、お客様、取引先様への感謝

2、従業員へのインナーモチベーション(この会社で頑張るぞ!という気持ち)向上

特に、2を目的とすることが多いです。

何となく毎日通っている会社にも、創業の熱い理念があり、紆余曲折があって、何とか今まで続いてきている。その「理念」を社員が共有している会社は強い。ということです。

 

では、国には理念があるのでしょうか?

実はあるのです。それが・・・

「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」

神武天皇の言葉です。

意味は、「天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族があたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと。つまり世界平和の理想を掲げたもの」と橿原神宮HPでは説明されています。

御神徳|橿原神宮

 

「戦争の際の合言葉に使われた」「侵略を意味する」などと言う人もおりますが、国としての理念をはっきり持つことその理念を胸に未来を創造すること。が重要で、私は上記橿原神宮HPの解釈が日本らしく好きであります。

 

会社の成り立ちを知ること。

国の成り立ちを知ること。

両方とも自分の属する組織のルーツを知ることでありルーツが今の自分の使命と未来への方向性を示してくれます。

それは個人も同じで自己分析とは、自分を知ること。自分を知らなければ、自分の未来戦略も立てられないのであります。

 

⑥この歌の意味 

 さて、長く遠回りしてきましたが、この和歌の意味を考えます。明治天皇と和歌」については以前ブログで紹介しましたが、たくさんの和歌を詠んだ天皇です。

 

oidon5.hatenablog.com

 

 

今回の和歌は「明治」という日本が大きく転換していく時代に、その先頭に立つ者としての意志を詠んものです。「ひらけゆく世」に対処していく中で明治天皇が大切だと考えたのが「いにしへの御代の教」でした。

明治時代は文明開化、西洋文明をとにかく輸入し、日本古来のものは「古い。遅れている。野蛮だ。」とエリート達が考えた時代でした。その中で、先頭に立つ明治天皇

「いにしへの御代の教にもとづきて」と考えたことは、今の日本を考える上で非常に重要なことです。

 

明治という時代は日本を見失いつつあった時代でもありました。それに悩んだ新渡戸稲造は『武士道』を書くことで自分の中の日本に整理を付けました。他にも岡倉天心など、急速な西洋化と日本の良さのはざまで「日本」をあらためて考えた方々が明治時代にはおりました。その中で明治天皇も日本の行く末を危惧していたのです。

教育勅語」をあらわしたのも、「日本らしさ」を急速に失いつつある日本を危惧して、

まさに「明治天皇」が「勅語」したのです。

あれから戦争を経て、日本は何を失い、何を残しているのでしょうか。明治天皇が残そうとしたものは残っているのでしょうか?

(その確認には教育勅語をよんでみるのがよいかもしれません)

ルーツを知ること。過去を知ること。そして未来へ活かすこと。

その謙虚な過去への姿勢が未来をひらく。

そういう想いでもう一度日本の成り立ちを今日は考えてみませんか?ITが発達する未来のイメージが全く関係ないと思われる歴史を学ぶ中で、「ふと」頭に浮かぶかもしれません。

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました!

 

心に和歌を!