おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂(1/2 )

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和歌原文

かくすれば かくなるものとしりながら やむにやまれぬ やまとだましい 

かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂

吉田松陰

 

現代語訳 

海外渡航が大罪であることは充分承知している。しかし、国家危急の今、「已むに已まれぬ大和魂」が自分を突き動かしたのである。

『名歌でたどる日本の心』小柳陽太郎 他編・著 より

鑑賞のポイント

吉田松陰の略歴

吉田松陰は幕末の思想家であり、教育者です。
長州藩(今の山口県)に生まれ、将来を嘱望された人物でありました。しかし、友人との仇討ち旅行に参加する為、脱藩。
また、ペリーの船に乗り込もうとして失敗し幕府に捕まってしまいます。

この行動により牢屋に入れられてしまった松陰は牢屋を出た後に松下村塾で教え、高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文などの多くの志士を育てました。

しかし、時の老中 間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てたということで30歳の時に安政の大獄によって刑死しました。

②「かくすれば・・・」の歌をよむまでの経緯

■1853年(嘉永六年)浦賀にペリーが来航

江戸にいた松陰は師匠と共に黒船を見に行きました。
最初は憤慨した松陰でありましたが、
日本の為に自ら外国技術を学ぶ!と留学を決意。
しかし、当時外国に行くことは「死罪」となる大罪でありました。。。

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ペリーが去って1か月後。プチャーチン率いるロシアの艦隊が長崎に入港しました。このことを松陰は知り、「ロシア艦隊に乗り込み外国へ行こう!」と長崎に向かいます。

しかし、既にロシア船は出航しており失敗に終わりました。

 

1854年安政元年) ペリーが再び来航

ついに日本の鎖国が解かれ日米和親条約が締結されます。

その日米和親条約が締結された後、下田の海に浮かんでいたペリーの船。
そこに、吉田松陰は弟子の金子重之助と共に小船で近づき、見事乗船に成功します。
そして黒船の船員に対して
アメリカに連れてって欲しい」と訴えました!!

しかし、やっと条約を締結した直後。幕府をあえて怒らせるようなことをしたくないアメリカ側は松陰達の依頼を拒否しました

残念ながら松陰と金子は密航に失敗し、幕府に自首します

そして捕縛されてしまいました。

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江戸の獄から地元長州に移送される途中、

高輪泉岳寺前で今回の短歌「かくすれば・・・」を松陰は詠みました。

この泉岳寺赤穂義士のお墓があるお寺です。
自らの心を赤穂義士に寄せて詠んだ
のでありました。

 

③松陰「密航」前の言葉

松陰がアメリカに密航しようとした時の熱い想いを紹介します!

 

拙者はこのたびの事を行う以上、失敗したらさらし首となることを覚悟している。しかし、諸君も今日からそれぞれ一つのことをやって国に報いれば、その成否いかんにかかわらず、国家の命脈を養うことになるではないか。そう思わないか。」

 

胸が熱くなりますね!
~『回顧録』より意訳版 ~ 

アメリカ側の史料から見た吉田松陰

次に密航しようとした松陰・金子の事が書かれたアメリカ側の史料を紹介します!

 

「・・・動作は礼儀正しく、非常に洗練されていた・・・この事件は厳しい国法を犯して、知識を増やすために生命を賭けてきた二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すものとして、興味深いことであった・・・」

 

そもそも、当時英語で会話なんてもちろんできない。その中で、突然船に乗り込み、「アメリカに連れて行ってくれ!」と訴えるするのは本当にすごいことです。清水の舞台から飛び降りるどころではない、覚悟でありますよね。

 

⑤この歌から学ぶ松陰のすごいところ

1、国レベルの事象に対して自分事として捉えていること。

国家単位の出来事を自分事として捉え、考え、行動することが果たして今の自分にできるでしょうか。

 

2、頭で考えたことを実際に行動していること

当時「異人を斬り捨ててしまえ!」や「アメリカの先進的技術を学ぶことが大事だなんてことを口にする人はいたが、松陰はそれを実行に移しました。「言う」と「行動」では100万倍の差がありますね。

 

3、勢いの行動ではない。冷静且つ大胆

決して単なる暴走ではない。冷静に頭で考え、大胆に行動に移している。 冷静になると行動できないし、大胆だけだと行動に一貫性がなくなる。松陰は冷静かつ大胆!

 

「かくすればかくなるものと知りながら」
つまり、頭ではどういうことをしたらどうなるかは分かっていた!

「已むに已まれぬ」

しかし、心がどうしても自分を行動に掻き立てるのだ!

大和魂
その心とは「おれは日本人である」という大和魂である!

 

日本のためにはアメリカの技術を学ぶことが必要である。しかし、外国に行くことは大罪である。この矛盾の中、自らを行動に掻き立てるのは信念でありました。それはヤケになった行動ではなく、いたって冷静な行動であります。自分の信念に忠実に行動し、その行動の結果が自らにとっては最悪の「死」という結果であっても、それは良しとする。

なぜなら信念に従って行動したことは、必ず人に伝わり、結果日本の為になる。と松陰は確信していたのです。

 

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「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ」
そんな決断を人生で何度できるでしょうか。
自分事として考えると、松陰の偉大さがよくわかりますね。

 

自分の信念は何か?いざという時「行動」を選択できるか?自らにたまに問いかけてみてもよいのではないでしょうか。

 

心に和歌を!

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 ↓次は更に詳しく、松陰がペリーの艦隊に乗り込むまでを追います!

oidon5.hatenablog.com