おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

f:id:oidon5:20190324100545j:plain

 

和歌原文

みはたとひ むさしののべに くちぬとも とどめおかまし やまとたましひ

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 

吉田松陰留魂録

 

現代語訳

私の身が武蔵の地で朽ちてしまおうとも、大和魂だけは留めておきたいものだ

 

文法

f:id:oidon5:20190324092804j:plain

鑑賞のポイント

ふんどしが繋いだ「松陰の遺書」

 今回の和歌は松陰の遺書である『留魂録(りゅうこんろく)』の一番冒頭に記された歌。つまり松陰の辞世の句です。『留魂録』は処刑される安政六年十月二十七日直前の二十五日~二十六日にかけて松陰が書いたものです。松陰は弟子に確実に届くよう同じ内容の文章を二通作りました。そのうちの一通は江戸にいた弟子の飯田正伯から高杉晋作久坂玄瑞などの弟子に伝わり、回し読みされました。しかし、この原本は現在残っておりません。

 もう一通の手紙は、明治九年。神奈川県令(県知事)野村靖のもとに謎の人物から突然届けられました。この人物、名は沼崎吉五郎といい、なんと松陰が入っていた牢の名主(牢の中で一番偉い)。松陰は沼崎の人柄を信用し『留魂録』を託したのでした。後に沼崎は遠島の刑となり獄を出る時、ふんどしに『留魂録』を隠し、その後も大切に保管しました。時は経ち、明治の世になってから沼崎は長州藩士である野村靖が神奈川県令になったことを知り、松陰に託された『留魂録』を届け出たのでした。この一通は現在松陰神社に展示されています。松陰直筆の遺書はふんどしに隠され、後世の私達までつながれたのです。

 

f:id:oidon5:20190324092515j:plain

留魂録』冒頭  吉田松陰.comよりhttp://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku.html

生きるとは何か。『留魂録』が教えてくれること

 では『留魂録』にはどのようなことが書かれているのでしょうか。死を翌日に控えた松陰が何を考えたか。そこに「生きるとは何か」を考えるヒントがあります。

 

私は江戸送りになる時1枚の布を求め孟子「至誠にして動かざる者、いまだ是れあらざるなり」の一句を書き、手ぬぐいに縫い付けて持ってきた。そして評定所の中に留めおいた。これは私の志をあらわすものである。もし天が私の誠を汲んでくれれば想いは幕府の役人にも伝わるであろうと志を立てたのである。しかし、私の誠は幕府役人に伝わらず、今日に至った。これは私の徳が薄く天を動かすことができなかったと思うと、誰も責めることはできない。

今日死を覚悟しているのに心が平安なのは春夏秋冬の四季の循環から得られたことがあるからだ。稲作のことを考えると、春に種を蒔き、夏に苗を植え、秋に刈り、冬に貯蔵する。秋冬には収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくり、村々に歓声がみちる。いまだかつて収穫時期に、労働が終わることを悲しむということを聞いたことがない。 私は今年で三十歳になった。まだ一つの事も成すことができず死ぬのは、花を咲かせず、実がならないようで、惜しいことのようにみえる。しかし、私については花が咲き、実がなったのだ。だから悲しむことはない。なぜなら、人間の寿命に定まりはなく、穀物のように四季を経るのとは違う。十歳にして死ぬ者には、十年の中に四季があり。二十歳にして死ぬ者には、二十年の中に四季がある。三十歳にして死ぬ者には、その三十年の中に四季がある。五十歳、百歳。それぞれにもその中に四季がある。十歳をもって短すぎるというのは、夏の蝉を長い間生きている椿にしようとするようなものである。逆に百歳をもって長すぎるというのは、この椿を夏の蝉のようにしようとするようなものだ。どちらも天命に沿っていない。 

私は三十歳、四季はすでに備わっている。また花咲き、実を結んでいる。その実がよく熟しているかどうかは、私の知るところではない。もし同志の中でこの私の心を憐み、受け継いでくれる人がいるならば、種子が絶えることなく、次から次へと循環していくことと同じである。同志の皆さん、よくこのことを考えてください。

 ご紹介した松陰の言葉について二点補足致します。

①天という存在 

 松陰の言葉には「天」がよく出てきます。「天」とは何か。それは人智を超えた存在。なるべくしてなるように世の中を運行させる存在。といった感じでしょうか。正しいことは正しい結果となり、間違ったことは間違った結果となる。誠を尽くせば天に通じそれなりの結果となり、誠を尽くさなければ天に通じず結果もでない。そういう自分の力の及ばない宇宙の法則を「天」と呼びました。(松陰の言葉で「天」を説明する文章を見つけましたら追記します)。天が下す結果は絶対的に正しい。それは自分にとって好ましくない結果であろうと、天から見た結果としては正しい。なので松陰は誠をどれだけ尽くすかにこだわり、結果は天の意向として受け入れ、結果の原因は自分に求めたのです。つまり結果は他人のせいではなく、自分のせい。そのジャッジは天なのです。

②人生の中の四季

 四季は365日という時間の中で巡っていきます。つまり、春に植えた種が夏に収穫はできないのです。時間を経て秋が来ないと収穫ができない。なので四季は365日という時間の中で成立しています。しかし、人間は違う。時間で測れない存在ということです。「やっぱり70年くらい生きないと人生の醍醐味を味わい尽くせない」ということではなく、10歳には10年の中に人生の醍醐味が凝縮されており、100歳には100年の中に人生の醍醐味が凝縮されている。我々の四季、人生の醍醐味は生まれてから死ぬまでの時間の長さに関係ない。そういうことを松陰は死を目前にして感じていたのです。

「身はたとひ・・・」の和歌をよむ

 これらを踏まえて、あらためて今回の和歌をよんでみましょう。自分の身(肉体)は明日死ぬ(朽ちる)。しかし、魂は残していきたい。これは時間を超越している考え方です。身は時間に制限されるものです。年齢を経れば身長は伸び、そしてある年齢になると死が必ず待っています。しかし、魂・想いというものは時間に制限されるものではない。時間を超えて残り続けるものです。その残り方には、魂というものが残る。と考えるか、その想いが他人に伝わり残っていく。と考えるかは色々な考え方があると思いますが、少なくとも松陰は身は朽ちるとも、魂は残す。と考えました。

 またこの和歌は強い決心を詠んでいるいるように思われますが「留め置かまし」の「まし」は「実際そうならないと分かっていながらの希望、仮定」の意味なので、強い意味ではありません。そこに死という未知の世界を真正面から捉えている松陰を私は感じます。死んでしまうと未知の世界の為どうなるか分からないが、今私は「大和魂を留めておく」と考えている。ということです。自分の強い想いがありながら天の計らいをわきまえている、強い意志と謙虚さを感じられます。

最後に

 激烈な行動家である松陰は30年で生涯を閉じるのですが、その想いは弟子達に受け継がれ明治維新の原動力となりました。しかし、捕まる前の松陰の過激な言動に弟子達も距離を置く時期があったことをご存知でしょうか。弟子達さえも松陰の真っ直ぐな言動に

ついていけないと感じたのです。その松陰は『留魂録』を残し、突然この世からいなくなってしまいます。すると、あれだけ松陰の言動を諌めていた弟子達は、英国大使館を焼き討ちしたり、京に火を付ける策謀を巡らし新選組に襲われたり、果ては奇兵隊を立ち上げ幕府と戦うことになる。まるで松陰をなぞるような激烈な行動を起こしていきます。結果的には時代の変わり目の先頭を松陰が走り、弟子達が追いかけ、そして時代の流れもそれらに引っ張られるかのように明治に向かって進んでいきました。

 安定の行き先に破綻を見通した場合、安定を壊してでも破綻を免れることが必要な時代の変わり目というものがあります。その変わり目を確信を持って捉えられる人物は稀であります。明治維新は誰もが最初から最後まで同じ考えのもと行動した結果ではありません。あらゆる考えや行動が浮かんでは失敗し、徐々に「考え(理想)」と「現実」の妥協点が見えてくることで成ったものなのです。徳川慶喜を待望したり、外国と戦ってみたり、天皇家と幕府を結びつけてみたり、雄藩(強い藩)の連合政治を試みてみたり。

 今の時代も「時代の変わり目」と言われますが、そのど真ん中にいる自分達には当たり前ですが未来を見通せません。多くの想いと行動の積み重ねの先に成るべくして成る未来がやってくるのです。その行動には松陰の時代ですと「死」を伴う可能性が常にありました。一方、今の時代はよっぽどの事がない限り「死」はありません。だからこそ自分の頭にある理想を小さな一歩の行動に変えていきましょう。日本人みんなの先輩、松陰先生を胸に抱いて。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

心に和歌を!