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「令和」初春の令き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮の後の香を薫らす。(1/2)

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 「令和」の出典

初春(しょしゅん)の(よ)き月、気(き)淑(よ)く風(かぜ)(なご)み、梅は鏡の前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮(はい)の後の香(こう)を薫(かお)らす。

万葉集』 巻五 「梅花の歌三十二首并に序」

 「令和」を知ろう

四月一日に新元号が公表されました。

  令和

日本古典からの引用は初めてで、
645年「大化」以降、248番目の元号となりました。

今回のブログでは「令和」の出典元の文章や『万葉集』について、
お伝えしようと思います。

 

序文の文章を読もう

「令和」の出典元となる一文の紹介はたくさん見ますが、
そもそもの序文全体はどのようなことが書かれているのか気になりませんか?
紹介しちゃいます!

 

書き下し文

まずは書き下し文。音のリズムを感じてください。

 

梅花の歌三十二首并に序

天平二年正月十三日、帥(そち)の老の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴會(えんかい)を申(ひら)く。時に初春(しょしゅん)の(よ)き月、気(き)淑(よ)く風(かぜ)(なご)み、梅は鏡の前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮(はい)の後の香(こう)を薫(かお)らす。加以(しかのみならず)、曙の嶺に雲移りては、松、蘿(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結びては、鳥、縠(となみ?うすもの?)に封(こ)めらえて林に迷ふ。庭には新しき蝶舞ひ、空には故(もと)つ鴈(かり)歸(かえ)る。ここに天を蓋(きぬがさ)にし、地を座(しきゐ)にし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、襟を煙霞(えんか)の外に開き、淡然(たんぜん)として自ら放(ほしきまま)に、快然(かいぜん)として自ら足りぬ。若(も)し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以ちてか情を攄(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)せり。古と今とそれ何ぞ異ならむ。宜しく園の梅を詠みて聊(いささ)か短詠を成すべし。

 

 【単語の意味】

天平二年→730年。奈良時代奈良の大仏を造った聖武天皇の時代。

・正月→太陰暦の春の最初の月。立春の頃。現代の暦で2月初旬頃。

・帥の老→大伴旅人 帥=太宰帥=大宰府の長官のこと

・宴會を申(ひら)く→宴会をひらく

き月→よい月

気淑く→大気・空気が良く

・鏡の前の粉を披き→鏡の前の白粉(おしろい)のように

珮→古代の装飾具。貴族の飾り袋?

曙の嶺→ほのぼのと夜が明ける頃の山の頂上付近

蘿(うすもの)→うすい織物

蓋(きぬがさ)→笠。絹を貼った、柄の長い傘。

・夕の岫(くき)→夕方の山のくぼみ

鳥、縠に封めらえて→縠「となみ(鳥網)?薄い織物?」。鳥は霧にとじこめられ

故つ鴈歸る→去年やってきた雁が帰っていく

觴(さかづき)を飛ばす→盃を交わす

言を一室の裏に忘れ→(楽しさのあまり)座の一同は言葉を忘れ

襟を煙霞(えんか)の外に開き→襟をかすむ景色に開き

淡然として→さっぱりとした気持ちで

快然として→心地よい気持ちで

翰苑→文章

・詩→『詩経』?

聊(いささ)か→ほんのすこし

短詠を成すべし→短歌を作ろう

 現代語訳

梅の花の歌32首の序文

天平二年正月十三日。大宰府長官大伴旅人の邸宅に集まって宴会を開いた。
時は初春の良い月で、空気は良く、風は和み、梅は鏡の前のおしろいのように白く花ひらき、蘭は飾り袋の香りのように匂っている。
それだけでなく明け方の山の頂上に雲がかかり、松が薄い絹をかかげ笠を傾けており、夕方の山の窪みに霧がたちこめて、鳥が閉じ込められ、林に迷い込んでいる。
庭には新しい蝶が舞い、空には去年やってきた雁が帰っていく。
ここに天を笠にして、地面を座にして、膝を近づけて盃を交わそう。
楽しさのあまり座の一同は言葉を忘れ、襟を外のかすむ景色に開き、さっぱりした気持ちで心の赴くままに、心地よい気持ちで満ち足りている。
この気持ちを歌でなく、何であらわせようか。『詩経』に落梅の篇がある。
昔も今も同じである。さあ庭の梅を題材にして短歌を詠もうではないか。

 

補足

万葉集』について

万葉集』は7世紀後半~8世紀後半に編集された現存する日本最古の和歌集です。
編者は明確には分かっておらず、勅撰説(天皇上皇の命により編集される歌集)橘諸兄説、大伴家持説などがあります。
ただ、1人が全て編集したというよりは、巻によって編者が異なるものをまとめて編せられたといわれております。

巻は全部で二十巻あり、「令和」の本となった序文は巻五にあります。

また、『万葉集』の題号の意味も諸説あります。

何よりも『万葉集』のすごいところは、

庶民の歌から貴族の歌。四季の歌から愛の歌まで、四千五百余首の歌が平等に選ばれていることです。

つまり歌の世界では地位も身分も関係ないということを今に伝える貴重な和歌集なのです。

大伴旅人について

665年(天智天皇四年)~731年(天平三年)。飛鳥時代奈良時代の公卿であり歌人
大納言という左・右大臣の次席の役職に最終的には就いた身分の高い人物です。
六十歳を過ぎてから当時の外交の窓口である大宰府の長官に任命されました。

ちなみに当時の大宰府は、九州一帯の行政と朝鮮・中国外交と防衛を所管としており「遠の朝廷」と呼ばれるほどの権力がありました。

旅人は「酒を讃(ほ)むるの歌十三首」を詠んでおり、酒を愛した歌人として知られている。

 

花といえば「梅」!?

今回の序文は花見について書かれています。私達は花見と聞くと「桜」を思い浮かべますが、

奈良時代まで花と言えば「梅」だったのです。

例えば『万葉集』の「梅」の歌は110首。「桜」の歌は43首しかありませんでした。それが平安時代初期に編纂された『古今和歌集』では

「梅」の歌が18首に対して、
「桜」の歌が70首。

平安時代には花=「桜」となり、以後現代に至っております。

梅の花を見て歌を詠むということは当時中国で盛んでありました。この時代の日本は遣唐使全盛期。特に大宰府は貿易の最前線の為、旅人は当時最先端のイベントを催したのでした。

しかし、平安時代に入り徐々に唐風文化は廃れ、国風文化に変遷し、それに伴い

花=「桜」となるのでした。  

春や花と聞くとどうしても4月頃をイメージしてしまいますが、
この序文の時期は「立春の梅の時期」。
つまり今の2月なんですね。そうなるとイメージする景色もまた変わってきませんか?

 

まとめ

「令和」の出典とその背景について今回は取り上げました。「令(よ)き」「和(なごむ」時代がこれからやってきます!

安倍首相が「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい、との願いを込めた」と語っております。

まさに力強く、そして良き香りを辺りに薫らせる自分であり国であることを目指す時代に入りました。非常に楽しみですね!

 

心に和歌を!

次回は、和歌ブログらしく三十二首の歌の抜粋紹介と『万葉集』がなぜすごいのか!についてです!

 

 

参考文献

『新訓 万葉集』佐々木信綱編 岩波文庫

産経新聞4月2日号

 

「令和」2/2はこちら↓

oidon5.hatenablog.com

 

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