おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

瓜食めば 子ども思ほゆ 粟食めば まして偲はゆ 何処より 来りしものぞ 眼交に もとな懸りて 安寝しなさぬ

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和歌原文

瓜食めば 子ども思ほゆ 粟食めば まして偲はゆ 何処より 来りしものぞ 眼交に もとな懸りて 安寝しなさぬ

 

うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ

 

               『万葉集』八〇二 山上憶良(やまのうえのおくら)

現代語訳

瓜を食べては子供たちのことを思い。栗を食べてはまして子供たちのことが偲ばれる。子供たちはどこからやってきたのだろうか。夜に目先にしきりにちらついて、なかなか眠れないものだ。

 

文法

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鑑賞のポイント

 山上憶良奈良時代初期の貴族・歌人です。今回の歌も掲載されている『万葉集』には自然や愛など色々な歌掲載されていますが、とりわけ山上憶良貧困や家族についての歌を多く残しております。「貧窮問答歌」など聞いたことありませんか?。それだけ現実の生活に根差して生きた人物であったことが想像できますね。貴族というとどうしても、自然や愛の歌を想像してしまいますが、憶良の歌は貴族の中では異色の歌人でありました。

 この歌は神亀三年(七二六)、筑前守(ちくぜんのかみ)として大宰府に赴任した頃の歌です。筑前守とは福岡あたりの長官で、後に豊臣秀吉筑前守の頃がありましたね。この頃の憶良は既に60代後半で、実子の歌ではなく、一般的な子への思いの歌ではないのか?とも言われておりますが、歌から伝わる切実さから、自分の子への思いを詠った歌であると私は思います。更に想像ですが、筑前守は単身赴任だったのでは。と勝手に想像してしまいます。(後に宴会から立ち去る際に「妻と子が待っているから」と伝える歌もあるため、単身赴任→途中から妻子と同居パターンでは)。私も単身赴任なのでよくわかりますが、会えない時ほど子供のことをよく思うようになります。

同年代くらいの子供がよく目にとまります。そして不思議なのが、いざ子供たちに会うと一人が恋しくもなります(笑)

 瓜や栗を食べる時。いつでも頭に子供が浮かんでくる。そして「何処より来りしものぞ」とその存在の不思議さまで考えてしまう。お母さんのお腹に宿った小さな赤ちゃんがどんどん大きくなり、歩き、言葉を話す。本当にふと不思議に思う瞬間があります。ずっと子供と一緒の方は「少し離れたい」と思うかもしれませんが、子供と少し離れてみると憶良の歌が身に沁みて心に迫ってきます。

 

最後に

  この歌は「五七五七五七五七七」という長歌となります。長歌の後には反歌と呼ばれる短歌がひっつきます。有名な短歌なので次回はこの反歌を紹介します。

 

こころに和歌を!

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!