おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不盡(ふじ)の高嶺に 雪はふりける

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和歌原文

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不盡の高嶺に 雪はふりける

たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける

 

万葉集』 巻三 三一八  山部赤人

現代語訳

田子の浦静岡県の海岸)を通って、広々としたところから見ると、
真っ白!富士山の高嶺に雪が降り積もっているなあ。

 

文法

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鑑賞しよう!

田子の浦から見る富士はどんな富士山?

富士山に雪が積もる姿は誰もが感動するもの。その圧倒的存在感は、昔も今も変わりません。今回紹介した短歌は『万葉集』に掲載されている富士山の短歌です。約1300年前から富士山は人々を魅了していたのですね!

となると、この短歌はどこから見た富士山なんだろうと日本人なら知りたくなります。
ヒントは「田子の浦」!

 

地図で見るとここになります↓

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ではGoogleEarthでバーチャルに田子の浦に行ってみましょう!↓

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                                                                             GoogleMap streetviewより

もうちょっと天気がよかったら・・・

山部赤人万葉歌碑というものが「ふじのくに田子の浦みなと公園内」にあるようです。↓

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                        富士市HPより

田子の浦辺りから見る富士山はとてもきれいに見えますね。
山部赤人が見た富士山を同じ場所から見てから、短歌を味わうと、時空を超えた交流をしているようです。

※ちなみに当時の田子の浦と今の場所は違うという説もあります。

 

百人一首に選ばれた歌

この短歌はみなさん聞いたことのある短歌ではないでしょうか。
それはこの歌が百人一首に選ばれているからです。
百人一首の歌はこちらです↓

田子の浦にうち出でてみれば白妙(しろたへ)の富士の高嶺に雪はふりつつ

万葉集の歌と微妙に違いますね。
その理由は「ゆ」(~を通りすぎ)などの言葉が
百人一首の成立した鎌倉時代初期には使われなくなり、改変されたからなんです。
歌意は同じですが、万葉集バージョンをさらっと口ずさめば、あなたへの見る目も変わるかもしれませんよ!?

さてこの短歌は万葉集では別の歌とセットになっており、
反歌」と呼ばれるものです。

反歌・・・長歌の後に添えられている短歌

つまりこの短歌の前には長歌があります。
次にこの長歌を紹介します。

 

セットとなる長歌

山部宿禰(すくね)赤人、不盡山(ふじさん)を望める歌一首幷(ならび)に短歌

天地(あめつち)の 分れし時ゆ 神(かむ)さびて 高く貴き 駿河なる
布士(ふじ)の高嶺を 天の原 ふり放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠れひ
照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける
語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不盡(ふじ)の高嶺は

反歌

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不盡の高嶺に 雪はふりける 

 

富士山を色々な言葉で称賛してから、今回の短歌なんですね。
これを口ずさめば、更に更に!あなたへの見る目が変わる!?
というか、皆の口は開いたままになるでしょう!

 

山部赤人(やまべのあかひと)という人物

奈良時代の下級役人で、経歴が全く分からない人物です。
ただ万葉集には多くの歌が掲載されており、
1つ前のブログで紹介した柿本人麻呂と並び「歌聖」と呼ばれております。
同時代にはこのブログに登場した山上憶良大伴旅人などがおります。

 

最後に・・・
上り新幹線A席(三人掛けの窓側)に座り外を眺めていると、「田子の浦」という看板が現れます。この看板を見る度に今回の短歌を思い出すので、一度まとめよう!と思い立ったのが今回のブログの発端です。
今度あの看板を見る時は、より具体的に色々と想いを馳せられそうです。

 

心に短歌を!

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!