敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花
和歌原文
敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花
しきしまのやまとごころをひととはば
あさひににほふやまざくらばな
六十一歳の時の自画像と共に書かれた歌
現代語訳
大和心とは何かと人が尋ねるなら、
朝日に照って輝く山桜の花
(であるとこたえよう。)
日本人である私の心とは
朝日に照り輝く山桜の花の美しさを知る
その麗しさに感動する
そのような心です。
(本居宣長記念館HPより)
【敷島の】・・・
大和・日本(やまと)にかかる枕詞
【大和心】・・・
反対語は漢心(からごころ)
後ほど詳しく!
【匂ふ】・・・
現代の「匂う」は<香りが匂う>意味で使うが、昔は(花が)<美しく咲いている・美しく映える>という意味でも使った。
【山桜】・・・
日本でよく見かけるソメイヨシノは里桜。
奈良の吉野の桜など自生する桜の代表的な種が山桜。
鑑賞のポイント
この歌をよんで、みなさんはどのような印象をもつでしょうか?
「なんだか勇ましいなあ。」
という印象を受ける方もいるのではないでしょうか?しかし、それは本居宣長の本意から大きくずれてしまうんです。この「うた」をいいきっかけに、「大和心」というものをもう一度しっかり考えてみたいと思います。
大和心は生きる知恵!?
私が非常に感銘をうけた「大和心」のお話があります。小林秀雄(こばやし ひでお)というとても有名な批評家の方の「文学の雑感」
という講義録の中にそのお話はあります。
どういうお話か要約すると・・・
「大和心」という言葉は平安時代の言葉で、
平安時代以後に使われなくなった言葉でした。(「大和魂」という言葉もそうでした。)
では平安時代に使われていた「大和魂」という言葉の意味は、どういうものだったか。
『今昔物語』に次のような使い方があります。
『今昔物語』のお話
平安時代。ある博士の家に泥棒が入りました。博士はうまく隠れていたが、好き勝手して引き上げる泥棒に口惜しく思い、引き上げるその後ろ姿に叫びました。
「貴様らの顔は覚えたぞ!明日の朝になったら警察に届けてやる!」
そうすると泥棒達は戻ってきて、その博士を殺してしまいました。
『今昔物語』の作者は言います。
「才はめでたかりけれども、
つゆ大和魂なかりける者にて、
かかる心幼き事をいひて死ぬるなり」と。
ここで使われている大和魂は才と比較されて使われています。
「才(=知識)はある博士だったが
大和魂(=生きた智恵)がなかったので、
こんなしょうもないことをして死んでしまった」
つまり・・・
大和魂・大和心とは
「柔軟な、人間のことを良く知った智恵」
なのです!
ちなみに、大和心と漢心(からごころ)というものがあります。漢心とは漢文を操る、中国かぶれのこころ。当時中国が最先端の知であったので、知識偏重というような意味だったのでしょう。
時を経て・・・江戸時代に話をうつします。
=中国の古典を学ぶ者
でした。科学や文学や心理学とかでなく、中国の古典を学ぶ者。それは幕府がそう推奨していたからでした。そのような風潮の中・・・
「いや日本古来の良さがある!」
ということで、日本の良さをもう一度日本人に広めたのが本居宣長ら国学者なのです。
「大和心」の意味をよく理解した
国学者 本居宣長が、うたった歌が冒頭の歌です。もう一度この歌を味わってみてください。
歌を味わう
朝の日の光に照らされる山桜の花。
その姿を見て「ああ美しいなあ」と感じる。
この心が日本の大和心。
この景色を「美しい」と感じられる。
その心からこみ上げてくる感覚。
それ自体が〈日本人が日本人たる所以〉なのです。
まとめ
「大和心」「大和魂」
本来の意味を理解すれば、
日本人とは何か?
の問いに対しての自分なりの解を
持てるかもしれませんね。
日本人とは何か?の答えに
朝の日の光に照らされる山桜の花を美しいと感じる心。と導き出しました。
ドイツ人はドイツ人らしく。
インド人はインド人らしく。
中国人は中国人らしく。
イラン人はイラン人らしく。
そして日本人は日本人らしく。
自国を知ることで、世界への貢献のしかたもみえてくる。
われわれはこの感性を大切にしていきたいですね。
心に和歌を!
最後までお読みいただき、
ありがとうございます!!!