きのふまで 吾が衣でに とりすがり 父よ父よと いひてしものを
抱っこ戦争
久しぶりの和歌ブログ。
本当に1年あっという間です。「さあ、また明日更新しよう!」と思って、思って、また思って・・・。前回の投稿から、夏が過ぎ、秋が過ぎ、そして冬に突入していました。
2週間くらい置いている。そんな気持ちだったのに。
さて、最近、下の娘(もうすぐ5歳)が「抱っこ抱っこ」と言い自分の前に立ち止まると
攻防がはじまります。
・・・結局、抱っこか肩車で落ち着くのですが、「言わなくなったら寂しいな。」て思う時があります。「今度は抱っこしてあげよう」と。
でも「抱っこー」と娘が言い出す時には、もうあの「寂しいな」て気持ちはなくなっています。本当に不思議です。
そこで、今日紹介する和歌はこちらです!
和歌原文
きのふまで わがころもでに とりすがり ちちよちちよと いひてしものを
きのふまで 吾が衣でに とりすがり 父よ父よと いひてしものを
橘 曙覧(たちばなの あけみ)
現代語訳
昨日まで自分の袖にすがりついて
「お父さんお父さん」と言っていたのになあ
衣手・・・袖(そで)
ものを・・・「~のになあ」 詠嘆の終助詞
鑑賞のポイント
橘曙覧とはどういう人物か?
まずこの歌をよんだ「橘 曙覧(たちばなの あけみ」という人物はどういう人物か。
貴族みたいな名前だから「平安時代の貴族?」と思うかもしれませんが、1812年(文化九年) つまり江戸時代に越前福岡に生まれた人です。
家業の紙商を継ぎながら、国学古典を学んでいました。2歳の時に母、15歳の時に父を亡くしており、「家族」を人一倍大切に想う人物だったのではと思います。
しかし、家族の不幸は続きます。
自分の子供も、長女・次女と生後間もなく死去。そして33歳の時に三女も病気で失いました。その時に読んだ歌が本日の和歌です。
娘への想い
この歌の詞書(歌の説明文のようなもの)にはこう書かれております。
「むすめ健女、今年四歳になりにければ、やうやう物語りなどして、たのもしきものに思へりしを、二月十二日より痘瘡(天然痘)をわづらひて、いとあつしくなりもてゆき(病が篤くなっていき)、二十一日の暁みまかりたりける(亡くなってしまった)。嘆きにしづみて」
「人生はいつ何があるか分からない。」
と言うけれど、それを実感として理解することは、体験者にしかわからない。
私には近い年の娘がいるので、「わが衣でにとりすがり 父よ父よと」言う 光景が目に浮かぶ。せいぜいそれくらいの想像しかできない。それでも悲しさが伝わる。
きのうまで体温として感じられた、
引っ張る小さな手。
「父よ父よ」という声。
それが突然終わるという悲しさが、
この31文字に凝縮されている。
ああ、毎日最大限に周りの人を大切にしよう。そう思える今日の和歌でした。
抱っこしてあげよう。
いや
抱っこさせてもらおう。
心に和歌を!
最後までお読みいただき、ありがとうございます!!
参考文献『名歌でたどる日本の心』国民文化研究会・小柳陽太郎 編著