たのしみは 錢なくなりて わびるをに 人の来りて 錢くれし時
和歌原文
たのしみは ぜになくなりて わびるをに ひとのきたりて ぜにくれしとき
たのしみは 錢なくなりてわびるをに 人の来りて 錢くれしとき
橘曙覧(たちばなの あけみ)
独楽吟(どくらくぎん)
現代語訳
たのしみは、お金がなくなって侘しくしていた時に、人が来てお金をくれた時
鑑賞のポイント
3連続 橘曙覧です!
なんて素直すぎる和歌なんでしょう!
全く背伸びがない、ありのまますぎます。
曙覧は学問を修め、それを教えることで生活をしていました。とはいえ、非常に貧乏でした。それは、以前の和歌(まれに魚煮て・・・)からも察せられると思います。
★これです↓
自分の追及したい学問を修める人生。
この人生には満足しているが、
やはりお金も大切。
「妻や子供にもいい物食べさせたいなあ」と
いくら学問を修めていたって考えるものです。そんな時、
「先生~、ちょっと教えて欲しいことがあって」と弟子がやってくる。弟子といっても、子どもではなく、自分の商売をしている者など多種多様。一通り橘先生に教えてもらった後の雑談の時か、帰る間際か。
「先生!もっといい物食べてくださいよ。」
とお金をすっと差し出す弟子。
先生は笑顔で、
「いやいやすまない。本当にありがとう」
と受け取り、客人が帰った後にうたったのがこの歌。という情景が浮かんできます。
(あくまで勝手な想像です)
「お金をもらう」歌なのにこの歌には暗さも、卑屈さも感じられません。
人間らしい。となんかほほえましいです。
それはあげる側にも、もらう側にも。執着が感じられないからでしょう。
人間らしさ、日本人らしさとは
そして急に日本の文化論に飛びます!
(ちゃんと戻ってきます)
最近読んだ『日本再発見』 岡本太郎
に非常に共感できる言葉がありました。
↓
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「壮大きわまりない極彩色の奈良朝文化、おおらかな平安文化、そしてこの桃山から元禄にかけての、濃いイマジネーションに彩られた豪快な豊さこを、われわれの血にひびく、むしろ最も日本的な伝統」
岡本太郎さんは、
「詫びしい」ものが日本の文化のように
思われがちだが、決してそうでない。
人間らしく、逞しく、素朴
が日本の文化だといっている。
私も非常に共感する。そして、
「人間らしく、逞しく、素朴」な日本人の心を感じたければ『古事記』が一番よい。
泣くは、笑うは、覗くなと言われて覗くは。
『古事記』に出てくる神々は本当に人間らしい。
そしてその国学を修めたのが→橘曙覧
ということで遠回りしたようで、
戻ってきました。つまり、橘曙覧の「たのしみは~」ではじまる独楽吟は、国学の学びのアウトプットだった。「人間らしく、逞しく、素朴」な人生を実践し、和歌で表現した
国学者 橘曙覧
学問を自分の人生で
きちんと昇華させた人物だったことが
分かりますね。
我々も学んだことは、
生活で実践していきましょう!
長文、読んでいただき
ありがとうございます!!!
心に和歌を!