世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
和歌原文
よのなかはつねにもがもななぎさこぐあまのをぶねのつなでかなしも
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
源 実朝(鎌倉幕府 第三代将軍)
『金塊和歌集』 『新勅撰集』 小倉百人一首
現代語訳と文法
世の中はいつもこうであったらなあ。
波打ち際を漕ぎゆく漁師さんの小舟の綱手をひっぱっている姿の
いとおしいことよ。
文法はコチラ↓
鑑賞のポイント
源実朝の歌、第二弾です!
今回の歌は、小倉百人一首にも選ばれている、めちゃくちゃ有名な歌です。
前回伝えきれなかったことを交えて、
源実朝について更に詳しくお伝えできればと思います。
①実朝さん高評価
「仰せの如く近来和歌は一向に振ひ申さず候。正直に申し候へば万葉以来実朝以来一向に振ひ申さず候。実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ申さず候、とにかく第一流の歌人と存候。」
この言葉、ある有名な本の一番冒頭な一文なんです。それは・・・
明治に入り、和歌をもう一度評価しよう!と活動した正岡子規。
その一番最初に実朝は登場します。それもべた褒め!
②『金塊和歌集』ってどういう意味?
金→鎌倉の鎌の「かねへん」
塊→塊門とは「大臣」の中国唐の名前
だから、鎌倉右大臣の歌集 ていう意味。
③実朝暗殺の舞台 鎌倉の鶴岡八幡宮
1063年源頼義が奥州平定より戻った際、
源氏の氏神として出陣の際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を鎌倉の由比ヶ浜辺にお祀りしたのがはじまり。
1180年源頼朝が源氏再興の為、鎌倉に入りすぐに現在の地にお遷しした。
由比ヶ浜からまっすぐに鳥居が鶴岡八幡宮にむかってのびる姿は、とても美しいです!
海がどれだけ近いか分かりますね↓
この階段をのぼれば本殿!
向かって左。狛犬の上あたりに、大きな切株が囲われています。
↓これが実朝暗殺部隊が隠れていた大銀杏(の切り株)
八は「ハト」になってます。
みんな大好き鎌倉名物「鳩サブレ―」はここからきてます↓
なんと今年2019年は実朝没後800年!↓
④和歌を味わおう
そろそろ、和歌に戻ります!
今回の情景は冒頭の絵のようなイメージでしょうか。漁師の乗る小舟を綱でひっぱる。
そのなにげない日常のワンカットを眺める実朝は「常にあって欲しい世の中」をこの情景に見出したのである。
漁師にとっては単なる日常ではあるが、
この日常こそかけがえのないものに実朝にはうつった。
そして「もがもな」→実現の可能性のすくない願望
というところが悲しい。
常にあって欲しいがそうはいかないという想いが胸に去来する。そうだろうか。
日常はずっと続くはずだ。
実朝の胸の奥には何がそうさせてくれないのだろうか。
戻らなければいけない政治の世界?
実朝にとって戻らなければいけない世界を一瞬忘れさせてくれた。
そんな気持ちを歌ったのだろうか。
⑤残したい「日常」
みなさんにも実朝のように残したい日常の瞬間はあると思う。
例えば私は、朝の出勤時間に
スーツを来たお父さんと小さな子供が手を繋いで歩く姿に「残したい!」と思う。
席を譲り「申し訳ないです本当に」と謙虚にお礼するお上品なお婆さんを見ると「残したい!」と思う。
何気ない日常の美しさを集める。
それは「何気なく」はもちろんであるが、
意識するとよりたくさん発見できます。
例えば「和歌をよんでみよう」と心に持つだけで、
たくさんの「何気ない日常」が心打つものに変わってくるでしょう。
心に和歌を!
お読みいただき、ありがとうございました!