おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

「令和」初春の令き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮の後の香を薫らす。(2/2)

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はじめに

前回のブログで「令和」の原典となった序文についてご紹介いたしました。今回はその序文の後に続く三十二首にはどのような短歌があるか数首ピックアップしてご紹介いたします。また万葉集』がなぜ日本人にとって大切な歌集なのかもご紹介しますね!!

 

前回1/2はこちら↓

oidon5.hatenablog.com

 

梅花の歌、三十二首にはどのような短歌がある?

まずはこの花見の主人である大伴旅人

わが苑(その)に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも

私の苑に梅の花が散る。天から雪が流れきたのかもしれないなあ。

 

ひさかたの:「光」「天」「月」「日」「雨」「雪」など天に関係する語や「都」にかかる枕詞。

 

ここからはランダムに。まずは、笠沙彌氏

青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし

青柳と梅の花を折り髪などに飾り酒を飲んだ後は散ってもよい。

何とも楽しそうです!今を楽しむという感じです。

 

薬師張氏福子

梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや

梅の花が咲いて散れば、桜の花が続いて咲きそうになっているではないか。

私達にとっての「花見」と言えば桜の花。この時代も桜の花もちゃんと意識されていたんですね。

 

少令史田氏肥人

梅の花いまさかりなり百鳥(ももどり)の声の恋しき春来るらし

梅ん花が今盛りだ。さまざまな鳥の声も恋しい春がやってくるようだ。

 

筑前掾門氏石足

鶯(うぐいす)の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため

鶯の待ちわびていた梅の花よ、散らずにいてくれ愛する人のために。

「思ふ子がため」この子は誰なのかな。と想像膨らみますね。 

 

と、いくつか紹介しました。季節と花と鳥と人。自然が溶け合う姿が目の前に浮かんできますね。自然の中に暮らす日本人を感じずにはいられません。

 

万葉集』はすごい歌集

 さて『万葉集』という歌集が日本にはあった。と言われても「ふ~ん」で終わってしまうのではないでしょうか。どういう部分がすごいのか!2点紹介いたします。

 

①身分に関係なく掲載されている

まずすごいことは、身分に関係なく掲載されていることです。和歌と聞くとどうしても「貴族が楽しんだものでしょ」という印象があるかもしれませんが、実は身分に関係なく日本人は和歌を詠んだのです。例えば防人の歌や農民の歌。誰が詠んだが分からない歌。東国の歌。天皇や貴族から一般の人たちまで、幅広い層からの歌を集めているのが『万葉集』です。つまり、日本人全体が歌を詠み、歌の世界は身分も関係ない平等の世界だった。ということです。

このような歌集が日本最古の歌集であるという事実は誇りに思ってよいと思います。

 

②想いを文字に「万葉仮名」という努力

万葉集』の原文は全て漢字で書かれています。「うわ~こりゃ読めない」と思うのですが、実は漢字の音だけを借りて記述されているのです。例えば、最古の万葉仮名をよんでみましょう。

「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」さあこれはどうよむでしょうか?

 

「はるくさのはじめのとし」です。

つまり、皮=は 留=る と漢字の音だけを使って意味をあらわしているのです。
万葉仮名と付くように、現代の仮名文字の原型です。
仮名文字も漢字が崩れてできあがったのでしたよね。(以→い のように)

これが何がすごいかというと、自分達が普段使っている言葉のを忠実に残そうとした。ということです。

音を伝える為の苦心の策が万葉仮名です。

この万葉仮名によって、奈良時代の人々と現代の私達の間で言語の分断がなく、想いを共有できるのです。

よく考えればすごくないですか?『万葉集』の時代の人の想いが、今そのままの音で聞いても分かるってこと。

 

他国を見てみては、英語やスペイン語ポルトガル語を使っているアフリカや南米の国々は言語の分断が起きてますね。また、英語もルーツを探っていくと日本ほど遡れません。言語の継承とは想いの継承であり、文化継承にとって一番重要なことです。私達は日本語で考え、想い、意思疎通をしているのですから。

 

例えば以前紹介した『万葉集』防人の短歌。

↓ 

oidon5.hatenablog.com

今でも意味が分かるし、その想いも伝わりますね。 

終わりに

いざ自分で短歌を作ろうと思うと、どうもネタが枯渇する。
仕事が忙しくなると「辛さも人生のうちだ!」「怒るな!」みたいな、短歌として決して美しくない心の叫びのような歌ばかりになる。

それはそれで味があるのですが、万葉集』に掲載されているような、自然を愛でる環境から遠ざかっている自分に気が付きます。

そもそも自然が目の前にない。
目の前にある自然を味わう時間的余裕や心の落ち着きがない。
ということが原因に挙げられますが、とはいえ日常の中には必ず風や光、木々に鳥や虫の声があるはずです。それをキャッチできない自分の心のアンテナを磨く為にも『万葉集』に目を通してみませんか?

 

以上、お読みいただき、ありがとうございます!

心に和歌を!