雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨もふらぬか 君を留めむ / 雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて ふらずとも 吾は留らむ 妹し留めば
和歌原文
雷神の 少し響みて さし曇り 雨もふらぬか 君を留めむ
雷神の 少し響みて ふらずとも 吾は留らむ 妹し留めば
なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ
なるかみの すこしとよみて ふらずとも われはとまらむ いもしとどめば
現代語訳
雷が少し響いて、空が曇り、雨も降らないだろうか。あなたをここに留めたいから。
雷が少し響いて、雨が降らなくても、私は留まろう。あなたが望むのであれば。
文法
短歌 × 映像
新海誠監督「言の葉の庭」で詠まれる短歌
「君の名は。」「天気の子」で有名な新海誠監督の作品の中に、「言の葉の庭」という作品があります。おもしろいのは、その中でなんと短歌が詠まれるのです。だからタイトルが「言の葉の庭」なんです。
ここで簡単にあらすじを(さわりだけ)
男子高校生のタカオは雨が降ると学校をさぼり、ある公園に行くことを習慣としていた。梅雨入りしたある雨の日、タカオがいつものようにその公園に行くと、缶ビールを飲む、若いスーツ姿のOL風の女性が一人座っていた。
彼女の名前はユキノ。
この日初めて会う二人。少し会話を交わした後、ユキノはタカオに一首の短歌を残してその場を立ち去る。
雷神の 少し響みて さし曇り 雨もふらぬか 君を留めむ
それから雨が降る日は、必ず公園で出会うようになったタカオとユキノ。
タカオは黙々ノートに絵を描き、
ユキノはいつも平日の朝からビールを飲んでいた・・・。
そんな二人は徐々に言葉を交わすようになる。
打ち解けていく中、タカオは自分の夢を打ち明ける。
一方ユキノは自分のことを打ち明けられぬまま梅雨があけ、
二人が会う機会はなくなってしまう・・・。
夏休み明けのある日、タカオはユキノを偶然見かけることとなる・・・。
そして短歌を残したユキノの意図とは一体・・・。
さあ、是非映像を見てください!
↓予告映像はこちら
https://www.kotonohanoniwa.jp/
本当に映像がきれいで、雨や緑にみとれてしまいました。
そう、短歌と映像がよくマッチする!
「短歌」を今の映像技術や音楽などと重ねると、
違う世界観ができあがるんだなあと一人感動して鑑賞しました。
あっ、音楽もこれまたいいんです!
自然に託す「恋」の気持ち
さて、ここでは気になる短歌の内容を説明します!
この短歌は、現代でも十分に伝わる男女の恋の歌。
最初の短歌が女性。後の短歌が男性(柿本人麻呂)が詠んだものとなります。
まず女性から。
「雷神(なるかみ)の 少し響みて さし曇り 雨もふらぬか」
とたくさんの言葉を使って、畳みかけるように自然にお願いをしています。
「雷が少し鳴って、曇って、そして雨なんか降ってくれないかなあ・・・」と。
なぜ、そんなに雨をお願いするのか・・・それは・・・
「君を留めむ」
そう「今日はここにいて」と愛する男性ともっと一緒にいたいからなのです。
「今日はここにいて」と直接的に伝えるのではなく、「雷なったり、曇ったり、雨なんて降らないか」って遠回しに天気にお願いする、女性のいじらしさが伝わりますね。
では男性側はどう答えたか。
「雷神の 少し響みて ふらずとも」
と同じ描写を繰り返していますけども、末尾が少し違います。
「雷が少し鳴って、雨が降らなくても・・・」
降らなくても・・・ということは・・・
「吾は留らむ」
そう「俺はここにいるよ」って。
更に畳みかけるように・・・
「妹し留めば」と更にあなたをきりっと見つめる(見つめたはず)
「君がここにいてくれと思ってくれるのであれば」と。
つまり 「天気なんか関係ない。君の為なら俺はここにいる」
と柿本人麻呂は応えたのです。とても素敵な恋の歌のやりとりですね。
こんなやりとりしたことありますか!?
恋人がいる方は雨が降った日の帰り際に、是非この短歌を使ってみてください!
「言の葉の庭」とこの短歌の意味を合わせてみると、
ユキノさん。よく男子高校生にこの短歌をぶつけたな。と思います。
自然に自分の気持ちを託す表現は、短歌によく出てきますが、
今の私達には難しいですよね。
自然に自分の気持ちを託す。ということは、
自然を感じられる感性+自分の気持ちを言葉にする感性
があってはじめてできることです。
両方を磨いて、このような短歌を詠める大人になりたいですね。
心に短歌を!
最後までお読み頂き、ありがとうございます。