ふるさとに 今夜ばかりの いのちとも 知らでや人の われをまつらむ
短歌原文
ふるさとに 今夜(こよひ)ばかりの いのちとも 知らでや人の われをまつらむ
菊池武時
現代語訳
ふるさとでは、私の命が今宵までとは知らないで、私の帰りを待っているであろう。
短歌を味わう
この短歌は、菊池武時(きくちたけとき)という肥後(今の熊本県)の豪族が詠んだものです。時は鎌倉時代。幕府と対立していた後醍醐天皇が日本全体に「自分の為に蜂起せよ!」と宣言を出しました(元弘の乱)。その際、九州で呼応したのが菊池武時でした。菊池は九州探題(九州にあった鎌倉幕府の出先機関)を攻めるがうまくいかず、自分の子供をふるさとに帰し(袖ヶ浦の別れ)、単身九州探題に斬りこみ命を落としました。享年42歳。この短歌はその時に、武時が残した辞世の句となります。
この短歌を受け取ったふるさとの妻は
ふるさとも こよひばかりのいのちぞと 知りてや人の われをまつらむ
「ふるさとでも、あなたの命が今宵までと知りました。あなたも私を待っているでしょう」
と詠み自刃したと伝えられております。
「辞世の句」という文化
私達は当たり前のように「辞世の句」というものを知っていますが、よく考えるとすごい文化ではないでしょうか。(「文化」と呼ぶべきものか分からないですが・・・)多くのご先祖様たちが、自らの死が目前に迫る際に一つの歌を遺しているんです。それも五七五七七という定型に託して。これが、長文だったり、一言だったり、詩だったりとマチマチだったらまださもありなんですが、古代~現代まで、ずーーーーっと同じ定型で遺しているということが・・・すごくないですか?人生で死ぬのは一回限り。その瞬間、人は何を考えるのであろうか。自分でいくら想像しても、分かるはずがないことであります。それでも、この遺してもらっている辞世の句をいくつか詠んでいくと、人生が透けてみえてくるような気がします。
今回の歌も辞世の句であります。死の間際、彼の目に浮かんだ情景。それは「ふるさと」とそこで待つ人々の姿でありました。戦をしていたのですから、殺し殺される情景がずっと続いていたことでしょう。いよいよ自分の人生が終わると決心し、心を整え、筆を持ち、目を閉じて、渾身の一文に思いを巡らすと、目の前に浮かんできたのは、この戦に行く前のあのふるさとの日常。そう、よく言い古された言葉かもしれませんが、私達の幸せは気づいていないだけで目の前にあるものだと思います。そして、彼が考えたのは自分のことではなく、自分を待つ家族のこと。目の前に死が迫る中、他人のことを考える。これが人間を覆っているたくさんの殻をめくっていった時に顕れてくる、素の人間なのではないだろうかと思います。
また、彼の妻もすごい。夫の死を知り、自らも命を絶った。これは純愛と呼ぶべきなのか何か、私にはわかりません。死後の世界までお供します。なのか、将来を悲観してなのか。夫が華々しく散ったのであれば、私も潔くこの世を去ろうという男気みたいなものなのか・・・。
夫婦とは他人であるけれども、一つの道を手を取り一緒に歩む人生のパートナーであり、二人にしか分からない道の見通しがあるのかもしれません。
時世の句は「死」や「人生」を我々に考えさせてくれる、とても大切な言葉ですね。
先人の人生を想像することが、きっと我々の人生を豊かにしてくれます。
心に短歌を!
最後までよんでいただき、ありがとうございます!