足たたば 北インジアの ヒマラヤの エヴェレストなる 雪くはましを
短歌原文
足たたば 北インジアの ヒマラヤの エヴェレストなる雪くはましを
あしたたば きたインジアの ヒマラヤの エヴェレストなる ゆきくはましを
まし:もし~だったら~だろう(反実仮想)
を:~のになあ(詠嘆)
現代語訳
もし立つことができれば、北インドのヒマラヤにあるエベレストという山の雪を食っただろうなあ。
短歌を再定義した 正岡子規
正岡子規といえば、教科書に必ず出てくる有名な人物です。明治時代の俳人・歌人として知られています。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす
などはどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。子規は自ら俳句や短歌を詠みましたが、その文学論でも日本に大きな功績を残したことで有名です。特に俳句・短歌の革新に心血を注ぎました。
短歌で言えば「技法やルールに縛られるのではなく、想いをありのままに詠め!古今集などのような貴族の歌ではなく、万葉集にかえれ!」と訴えました。子規の『歌よみに与ふる書』を読めば、そのことが直接的な言葉で表現されています。
「貫之(紀貫之)は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。」
「それでも強ひて『古今集』をほめて言はば、つまらぬ歌ながら万葉以外に一風を成したる処は取得にて、如何なる者にても始めての者は珍しく覚え申候。ただこれを真似るをのみ芸とする後世の奴こそ気の知れぬ奴に候なれ。」
一部抜粋してもなかなか直接的です・・・。
短歌の価値を再定義した熱い漢、正岡子規 といえるかもしれません。
短歌とは、韻を踏んだり、1つの単語に2つの意味を持たせたり、技法をこらす貴族のお遊びではなく、自らの心の声をありのままに五七五七七にあらわすものである。という価値に気が付かせてくれたのが子規でした。
↓短歌とは何かについては、以前のブログで紹介しています。
病気と闘った 正岡子規
さきほど紹介した『歌よみに与ふる書』の抜粋文章のように、強烈な言葉を残した子規ですが、子規が後世に大きな功績を残したのには、その短く太い人生が関係していると思います。子規は晩年脊髄カリエスという病気で、ほとんど寝たきりのまま34歳で亡くなっています。子規が生をそのまま表現することを主張したことは、子規の人生そのものの表現であり、だからこそ、その言葉に力が宿っていると思います。子規の『病床六尺』は死ぬ2日前まで書かれた随筆集で、以下の言葉から始まります。
「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/43537_41508.html 青空文庫より
苦しい病気であることが伝わる一方、どこか力を感じませんか?
これが子規の魅力です。
今回の子規の歌はこのような病気の中で、坂井久良伎(川柳作家)が箱根から写真を送ってきたことで、詠まれた連作(想い浮かぶものを連続で短歌にしていく手法)の一首です。
足たたば 北インジアの ヒマラヤの エヴェレストなる雪くはましを
子規の創造はエベレストまで飛んでいき、そしてその雪を食らいます。子規が主張しているように、自らの作品もありのまま表現されています。まっすぐに心に伝わりますよね。せっかくなので、連作九種すべて紹介します。
足なへのいゆてふ伊予の湯に飛びても行かな鷺(さぎ)にあらませば
足たたば箱根の七湯七夜寝て水海(みづうみ)の月に舟うけましを
足たたば不尽(ふじ)の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを
足たたば二荒(ふたら)のおくの水海にひとり隠れて月を見ましを
足たたば北インジアのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを
足たたば蝦夷の栗原くぬ木原アイノが友と熊殺さましを
足たたば新高山の山もとにいほり結びてバナナ植ゑましを
足たたば大和山城うちめぐり須磨の浦わに昼寝せましを
足たたば黄河の水をかち渉り崋山の蓮の花剪らましを
明治三十一年 連作九首
子規の想像が暴れまわっています!
家で闘う
病で数年間寝たきりであった子規でもこれだけの功績と、これだけ縦横無尽に心を開放できるのです。今の状況は鬱屈とさせますが、子規を見習い、身はお家でも心は世界を駆け巡りましょう!
そしてこの機会に短歌を詠んでみませんか?
心に短歌を!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!