おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

真砂なす 数なき星の 其の中に 吾に向かひて 光る星あり

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短歌原文

真砂なす 数なき星の 其の中に 吾に向かひて 光る星あり

まさごなす かずなきほしの そのなかに われにむかひて ひかるほしあり

正岡子規 『竹の里歌』連歌十首のうちの一首

 

真砂(まさご):細かい砂

なす(成す):状態。作る

数なき:数なし→数えきれない程多い

 

現代語訳

細かい砂をまき散らしたような数えきれない程の星の中に、私に向かって光る星があるなあ。

 

星は我々と同じ感情をあらわしている

今回も正岡子規の短歌です。正岡子規については前回ブログを参照ください。

 

oidon5.hatenablog.com

 

 

この短歌は明治33年(1900年)7月に詠まれた10種の連歌の1首目となります。病の中、部屋から夜空を眺めた時に詠んだ短歌です。この短歌については、芥川龍之介が『侏儒の言葉』という作品に引用していますので、その文章を紹介します。

 



 太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。
 天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群といえども、永久に輝いていることは出来ない。何時か一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死は何処へ行っても常に生をはらんでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都合の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすれば又新しい星は続々と其処に生まれるのである。
 宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火りんかに過ぎない。いわんや我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団の上に起っていることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環しているのである。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。

真砂まさごなす数なき星のその中にわれに向ひて光る星あり

 しかし星も我我のように流転をけみすると云うことは――かく退屈でないことはあるまい。

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html 青空文庫 

 

芥川龍之介はこの子規の短歌に対して遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団の上に起っていることと変りはない。」明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われる」という真理を詠んだものと感じたのでした。星と自分は別の存在であり、星はただ自ら光り、我々はただ我々なりに生きている。しかし実はあの遠い存在である星も、今ここに生きる自分と同じ流転の中で存在している(生きている)のであります。人間は感情を持ち、自然は感情もない無機質なもの。という発想ではこの子規の短歌は単純な擬人化の歌になったしまいます。そうではなく、子規は初夏の星から、自分に向けた意思を感じたのでした。みなさんも同じようなことをふと感じた瞬間はないでしょうか?「波が語り掛けてくるようだ」「山が見守ってくれている」「木々や花々が力をくれるようだ」「大きく息を吸い込み目を閉じて自然と一体になる」このような瞬間を子規は短歌に詠んだのではないかと思います。そして、子規はその星により具体的なものを感じるのでした・・・。それは連作の続きで分かります。

 

星の連作

ここで今回の短歌が含まれる十種連作を紹介します。

 

真砂なす数なき星の其の中に吾に向かひて光る星あり

たらちねの母がなりたる母星の子を思ふ光吾を照せり たらちねの=「母」にかかる枕詞

玉水の零(しずく)絶えたる檐(のき)の端に星かゞやきて長雨はれぬ

久方の雲の柱につる絲(糸)の結び目解けて星落ち来る 久方の=「天」関係にかかる枕詞

空はかる臺(うてな)の上に登り立つ我をめくりて星かゞやけり ※臺=高い所

天地(あめつち)に月人男照り透り星の少女のかくれて見えず

久方の星の光の清き夜にそことも知らず鷺(さぎ)鳴きわたる

草つゝみ病の床に寐(寝)かへればガラス戸の外に星一つ見ゆ

久方の空をはなれて光りつゝ飛び行く星のゆくへ知らすも

ぬば玉の牛飼星と白ゆふの機織姫とけふこひわたる ※ぬばたまの→「黒いもの」にかかる枕詞

 

どれもとてもいい短歌ですね。星空を眺めながら子規が色々と想像している姿が目に浮かびます。連作のいいところは、思いつくままにどんどん短歌にしていくこと。なので、子規がどういうことを感じたかが手に取るように伝わります。さて、この中の二首目「たらちねの母がなりたる母星の子を思ふ光吾を照せり」が今回紹介した一首目の短歌とつながりますね。連続してあらためて詠んでみましょう。

真砂なす数なき星の其の中に吾に向かひて光る星あり

たらちねの母がなりたる母星の子を思ふ光吾を照せり

たくさんある星の中の一つが自分に向かって光っている・・・あれは・・・母が星になって我が子を想い光っているのだ。という心の動きですね。子規は最初無数の星から一つの星がどうも気になりました。あの星はどうも自分に向けて光っているようだと。そしてその星に母を感じました。母が星になり、自分を照らしているのだと。ちなみに、子規の母、正岡八重は子規が亡くなる時に看取っているので、この時まだ生きていました。つまり子規は看病してくれる母の愛が自分に向かって輝く星とだぶって見えたのです。ただ一心に自分の方を向いてくれている星の光は母の愛そのものだったのです。

 

この翌々年に子規は亡くなりました。人間は追い詰められた時に人生の尊さに気が付くものです。人の優しさに気が付くものです。だからこそ、死と向き合った子規の数年は、人間の真理を我々に思い出させてくれるのです。

 

心に短歌を!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。