ひぐらしは 時となけども 恋ふるにし 手弱女(たわやめ)我は 時わかず泣く
短歌原文
ひぐらしは 時となけども 恋ふるにし 手弱女我は 時わかず泣く
ひぐらしは ときとなけども こふるにし たわやめわれは ときわかずなく
『万葉集』 巻十 一九八二 夏相聞 よみ人しらず
・ひぐらし:蝉の一種。夏の夕暮れに鳴く。
・恋ふるにし:片恋。片思い。
・手弱女(たはやめ・たをやめ):かよわい女性。「たわむ」という しなやかさ から連想。⇔益荒男(ますらお)
・時わかず:時分かず。つまり「ずっと、いつでも」
現代語訳
ひぐらしは決まった時間に鳴くけれど、片想い中の私はいつも泣いているの。
夏の夕暮れは「ひぐらし」の声
まず最初に「ひぐらし」の声を聴いてみましょう。
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【作業用BGM】ひぐらしの鳴き声1時間/Nature sound healing music より
ああ、今日もまた日が暮れる。。。「ひぐらし(日暮らし)」は、その名の通り日が暮れる頃に鳴くと言われています。その鳴き声は「カナカナカナ」と聞こえることからカナカナ蝉とも呼ばれます。日本人にとってこの声はもの悲しい気持ち、ノスタルジックな気持ちを連想させるものではないでしょうか?とてもおもしろいことに万葉集の時代から「もの悲しさ、ノスタルジック」の象徴として、ひぐらしの声が扱われていることです。こういうところで自分が日本人であることを自覚しますね。私たちの血には「ひぐらしの声」に反応し、どこかもの悲しくなるDNAが組み込まれているようです。文章の冒頭にあるように「ああ・・・〇〇」と「ああ」をつけたくなる。それがひぐらしの声なのです。
片思いに涙を流す乙女
この歌はよみ人知らず(誰が詠んだかは分からない)ものです。そのため、みなさんが思い思いに想像を膨らませながら味わってほしいです。例えば・・・
少し暑さもやわらぎ、空もオレンジ色に近くなってきた夏の夕暮れ時。女性が一人涙を流している。彼女が考えることは、大好きなあの人のことばかり。でもあの人とは、どうもうまくいっていかない・・・。「もしかしたら、〇〇ちゃんのことが好きなのかも」とか想像してしまうと、一人涙がこぼれてしまう。そんな自分を客観的に見てしまう彼女は「ひぐらしはこうやって決まった時間に鳴くのに・・・。私なんか、片思いで、こんなに勝手に傷ついたりして、ずっと泣いたりしちゃって。。。本当にだめな女。。。」なんて少し自己嫌悪。今日もあの人に会えなかったな。そう思う日々を重ねながら、気がつけば長い夏は終わっていく。
と勝手にシチュエーションを想像してしてみたり、更に想像を膨らませて・・・
ビール片手に涙で恋を忘れようとするAさんVer
夏休み中に好きな人に会えずモヤモヤするBちゃんVer
と、みなさんも色々と想像しながら、この短歌を味わってください。
虫の声と日本人
よく聞く話ですが、外国の方は虫の声に情緒なんて感じないと言われています。むしろ雑音だ。とかそもそも聞こえない!とか。。そもそも聞こえない!ということは、脳みそが無視をしている。ということです。要は「気にするに値しない音」と脳が認識しているのです。「今日も蝉がよく鳴くなあ」「What?」て感じで、蝉の声に注意がいくこと自体が珍しいことのようなのです。人間の右脳は音楽脳。左脳は言語脳と言われており、外国の方々は虫の声を右脳(音楽脳)で処理をし、日本人は左脳(言語脳)で処理をしているようです。なので、日本人にとって、虫の「音」ではなく、虫の「声」なのですね。それは、虫だけでなく、波や風、動物のなき声なども同じく「声」なのです。
auのCMでおなじみの浦ちゃん(桐谷健太)が歌う「海の声」なんてまさにそうですよね。
空の声が聞きたくて 風の声に耳すませ
海の声が知りたくて 君の声を探してる
会えない そう思うほどに
会いたいが 大きくなってゆく
川のつぶやき 山のささやき
君の声のように 感じるんだ
目を閉じれば 聞こえてくる
君のコロコロした笑い声
声に出せば 届きそうで 今日も 歌ってる
海の声にのせて
(以下省略)
自然を「声」と捉えて、愛する人と重ねている。まさに「万葉集」の時代の心は、今でもしっかり引き継がれていますね。自然を味わうことができる日本人であることに少しうれしく思います。さあ、周りの自然の「声」に今日も耳を傾けましょう。
心に短歌を!
最後までよんでいただき、ありがとうございます。