「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
短歌原文
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
俵万智 『サラダ記念日』
「寒いね」と「あたたかさ」を語る
一人暮らしをしたことがある人はよくわかると思いますが、「寒いね」と一人部屋でつぶやくも誰も答えぬことのさみしさが一人暮らしのさみしさです。特に秋や冬のように気温が下がってくると、なぜかさみしさも増してきませんか?「ああ「寒いね」と答えてくれる人が欲しい」そのような気持ちになる今回の短歌です。
「寒いね」と話しかければ 「寒いね」と答える人の いるあたたかさ
まず注目したいのは「寒いね」の繰り返しです。投げかけの言葉のキャッチボールがリズムよく、1往復で気持ちがほっこりさせられちゃいます。それには「ね」が効いているからです。「ね」って相手に対して優しさを含んだ問いかけの時に使いませんか?「ね」の往復が、この歌のほっこりを演出しているのです。
例えば・・・
「寒いな」と話しかければ「寒いな」と答える人の いるあたたかさ
→これは男同士の無骨な感じ。これはこれでいい感じもするけど。
「寒いね」と話しかければ「寒いよ」と答える人の いるあたたかさ
→二人目!相手のことをもうそんなに好きじゃないのか!?
「寒いね」と話しかければ「寒いか?」と答える人の いるあたたかさ
→二人の気持ちはもう通じ合っていない。。。
こうしてみると「寒いね」と話しかけて「寒いね」が返ってきたから、はじめて「あたたかさ」を感じられるのです。絶妙な二人の掛け合いだったんです。
次に注目してほしいのが「あたたかさ」です。これは平仮名で表現されているんですね。一方「寒いね」は漢字を使っています。漢字で表現すると、冷たい風が吹いているような、気温の寒さが伝わってきます。では「あたたかさ」をなぜ平仮名でわざわざ表現しているのか。「寒いね」とは違う何を表現しようとしているのか。そう!この「あたたかさ」は人の心を表現しているのです。気温の「温かさ」ではもちろんありません。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいる温かさ
→なんかくどいですね。寒いと温かいをわざとらしく対比しているような。また「温かさ」という表現は、ぽかぽかと体が温かいイメージになりませんか。
「さむいね」と話しかければ「さむいね」と答える人のいるあたたかさ
→「さむいね」自体がすでになんか意味深。あとやっぱりわざとらしく対比しているよう。
「さむいね」と話しかければ「さむいね」と答える人のいる温かさ
→ 「さむいね」は締まりがなく、最後の「温かさ」は逆に余韻がない。なんとなく気持ち悪い。
と元の歌を知っているからかもしれませんが、どれもイマイチに思えてしまいます。「寒いね」と何気なく口から出た言葉。その言葉に「寒いね」がまた何気に返ってきた。その会話の中に「あたたかさ」を見つけたことが、この短歌の感動ポイントです。「さむいね」になってしまうと既に何かしらの感情(甘えているような)がこもっていて、ふと口から出た感じがしないんですよね。
色々と書きましたが、何度も口ずさみたくなる歌で、とてもいい歌ですね。私達もこのような日常の一コマに「あたたかさ」を感じられるようになりましょう。それが幸せへの近道!
心に短歌を!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。