おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

仏にもまさる心を知らずして鬼婆なりと人はいふらむ

和歌原文

仏にも まさる心を 知らずして 鬼婆なりと

人はいふらむ

 

ほとけにも まさるこころを しらずして

おにばばなりと ひとはいふらむ

 

税所敦子 姑によむ

 

現代語訳

仏よりもすばらしい心を持っていることを

知らずに「鬼婆のようだ」と人は言っているという。

 

して】 ~のに、~にも関わらず。逆説の確定条件

【なり】 ~だ 断定の助動詞

【らむ】 ~ているという。推量の助動詞

    

 

鑑賞のポイント

今回は嫁が姑によんだ歌です。「鬼婆」という単語も出てくるので、嫁VS姑を彷彿させる歌ですが、実は感動的な歌なのです。どう感動なのかをみていきたいと思います。

鬼婆も感動の和歌

この歌をよんだ税所 敦子(さいしょ あつこ)は、1825年(安政八年)京都の公家侍 林篤国の娘として生まれました。父は歌人としても有名で、家で歌会が開かれるような家だったそうです。そのような家庭環境だったため、敦子も歌を習うようになりました。

 

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その歌の門人の中に、税所篤之(さいしょ あつゆき)という薩摩(現在の鹿児島)の藩士がおりました。彼は妻と別れ子供を地元に置いて、一人京都の薩摩出張所で勤務をしていた武士でした。敦子が20歳の時に、この篤之と結婚しました。

しかし、結婚相手は薩摩の武士。

薩摩といえば、男の中の男の国。古風を良しとする国である。女性である敦子には強くあたったそうです。周りの人々が心配すると敦子は

「夫は武士の妻として足らないところがある私を思って、つい荒くなってしまうのです。」と答える。本当にいい人だったようです。こうした妻の姿に夫も心穏やかになり、幸せな生活が続く。と思われましたが・・・敦子が28歳の時に夫は亡くなってしまいます。未亡人となった敦子。普通なら京都の家に帰るところを、なんと娘を連れて、夫の地元 薩摩に行くのでした。それも、姑、夫の前妻との間の子供、夫の弟家族の住む大家族の家に遠路はるばるです。

そしてこの姑が近所から「鬼婆」と称される気性の激しい人物だったようです。敦子はその家で、いじめられながらも献身的に姑に仕えました。ある日、機嫌の悪かった姑が敦子にいじわるなことを言いました。

 

「あんた、歌が上手だそうだねえ」

「いえいえ、そんな」敦子

「じゃあ、この句に上の句をつけて歌をつくってみなさい」姑

「は・・・はい」敦子

鬼婆なりと人は言ふらむ どうだい!!」

「・・・仏にもまさる心を知らずして鬼婆なりと人は言ふらむ・・・」敦子

 

じっと歌を見ていた姑は、突然感動で泣き出したといいます。どうです!!

黒を白で包んでしまうような。闇を光で包んでしまうような。

そんな敦子の清らかで美しい心が作り出した歌なのです。歌は心にないことをうたっても、相手の心をうつことはできません。本心のみが相手の心をうつのです。敦子の人格でなければうたえない歌なのです。

 

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明治の紫式部

その後の敦子の人生がまたすごいです!敦子は突然、薩摩藩の藩主島津斉彬の息子 哲丸の教育係に抜擢されました。今の大河の渡辺謙演じる、島津斉彬です!英雄は英雄を知る。と言いますが、斉彬といえば西郷さんを抜擢した名君です。その名君から敦子も抜擢されていたのでした。しかし、斉彬も哲丸も急逝してしまいます。すると次は、1863年(文久三年)敦子38歳の時に、島津久光の養女貞姫の公家の名家である近衛家への輿入れに従うことになります。薩摩からふたたび京都に戻る事になりました。

近衛家で12年仕え、もうゆっくり余生をと思っていたら・・・

1875年(明治八年)敦子51歳の時に今度は明治天皇の皇后である昭憲皇太后

歌の相手として宮内省に出仕することになりました。そこでは、外国要人接待の為、英語、フランス語も学び、短期間で習得されたといいます。当時の宮内卿であった伊藤博文は敦子のことを「あれほど素晴らしい婦人にあったのははじめてだ」と言い、人々は「明治の紫式部と称しました。

 

人々から愛された敦子は、その人生を1899年(明治32年)でとじました。

享年76歳。

 

目の前のことに一生懸命

税所敦子の生き方は私達に多くのことを教えてくれます

 

・目の前に与えられた役目を、とにかく一生懸命果たしていくこと。

・起こる事は全て自分に原因を求めて、自分事とすること。

・そして素晴らしい生き方をする人物を、見ている人は必ず見ている。

 

このようなことを思いながら、もう一度冒頭の歌を味わってみてください。

「仏にもまさる心を知らずして」この17文字がすっと出てくる敦子の心が人生を切り開いた。と思います。ゴールを設定し計画的に毎日を生きることも大切ですが、税所敦子のように与えられる目の前のことを一つ一つ乗り越えていく。そんな生き方が日本人らしい生き方なのかもしれません。

 

心に和歌を!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

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