おもしろき こともなき世を(に) おもしろく すみなすものは 心なりけり
短歌原文
おもしろき こともなき世を(に) おもしろく すみなすものは 心なりけり
高杉晋作+野村望東尼(のむら もとに)
すみなす(住み成す):自分の思うように住む
なりけり:気づきの意味。「~なこどだなあ」
こともなき世「を」「に」の2つの説があります。
短歌の意味
面白いこともない世の中を面白く過ごすのには心次第なんだよなあ。
イケイケの行動家 × 人生を達観した仏教僧
今回の短歌は幕末の英雄 高杉晋作 と幕末の勤王家 野村望東尼の合作となります。
おもしろき こともなき世を おもしろく → 高杉晋作
すみなすものは 心なりけり → 野村望東尼
という形で作られたものです。
巷では高杉晋作の辞世の句としてこの歌は有名です。
死の間近、晋作は人生を回顧しながら「おもしろき こともなき世を おもしろく」と詠んだ。しかしその先が浮かんでこない。すると側にいた望東尼が「すみなすものは こころなりけり」と続けた。それを聞いた晋作は「そうだなあ。面白いなあ。」と言った。こうしてこの短歌は完成した。と。
しかし、どうもこの説には「?」がついているようで、実際は高杉の死の数年前の短歌ではないかともいわれています。
いずれにしても、高杉と望東尼の合作で幕末の人たちの人生観を感じられるいい短歌ですね!
晋作「世の中ってのは、面白くないものよ。でもそれを面白く過ごすのが大事なのさ。」
望東尼「そう。面白くするのは、あたなの心次第。」
「世の中はただ目の前に存在し、時は滔々と流れていくの。それをどう捉えるか。あなたの心が毎日を面白くもつまらなくもするのよ。」
という掛け合いのようです。
ここで一つ想像をしてしまいます。イケイケの行動家 高杉は一体何を思っていたのだろうか。「おもしろき こともなき世を おもしろく」の後にどのような言葉を続けようと考えていたのだろうか。
おもしろき こともなき世を おもしろく
→生きてきた俺の人生に悔いはない
→生きるのが俺の生き方だ
→そう思いながらやってきたが、未だ達成できていない
→しようと思うことが大切だ
色々と想像できますね!晋作の人生観はこの後に込められるはずだったので、是非聞いてみたいです。あなたならどのような言葉を続けますか?
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ちなみに、高杉については過去のブログをご参照ください
野村望東尼(のむらもとに) という人物について
さて、この短歌を見事な哲学でまとめあげた望東尼ですが、この人物についてご紹介いたします。(参考『名歌でたどる日本の心』小柳陽太郎他 草思社)
野村東望尼は筑前、黒田藩士の娘として生まれ、和歌を学んでおりました。その後同じ門下生の者と結婚したが、先立たれます。その際に剃髪し「望東禅尼」と称しました。名前の由来は「東にある皇居を偲ぶ」という意味です。つまり彼女も尊王攘夷思想を持った勤王家でした。勤王家として筑前の志士として有名な平野国臣などとも交流を持ちましたが、藩の考え方が幕府寄りに変わった際に、望東尼は処罰され、60歳で島流しにあいます。1年間島で過ごした後、高杉晋作の手配により島から助け出され、下関で過ごします。薩長が連合し、明治が目の前までやってきた際、悲願成就の為に断食潔斎をして祈念し、力尽き、慶応3(1867)年11月6日に62歳で亡くなります。王政復古の大号令は慶応3(1867)年12月9日。新しい時代に歩を進めるために多くの命が尽力しましたが、その最後の1つだったようにも思えます。
ちなみに高杉は慶応3(1867)年5月17日に亡くなっているので、その半年後に望東尼も亡くなったことになります。
明治維新は多くの有名な志士たちだけでなく、後世に名も知られていない商人、農民など多くの人たちの力でなされました。今回の望東尼も女性、尼でありながら維新の為に尽力した人物の1人です。
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」
あらためてこの短歌を味わいながら、今のこの時代を生きましょう!
心に短歌を。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。