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ときはいま あめがしたしる さつきかな

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連歌原文

 

ときはいま あめがしたしる さつきかな

 

               明智光秀 愛宕百韻(愛宕山連歌会)にて

 

現代語訳

 

今は雨がずっと降っている五月だなあ。

 

 

本能寺の変」の決意を詠った歌!?

 

NHK大河ドラマ麒麟がくる』で今話題の明智光秀
といえば、本能寺の変は切っても切れないですね。この歌はその
本能寺の変の決意を事前に歌にしていた!?と言われる有名なものです。

この歌が詠まれたのは本能寺の変天正10年6月2日)の前に、京都の愛宕山で行われた連歌天正10年5月24 ※28日という説もあり))でした。どこが決意なのかみてみましょう!

 

【通常の意味で漢字をあててみる】

は今 が下領る(治る) 五月かな

 

【裏の意図で漢字をあててみる】

土岐は今 が下領る(治る) 五月かな

土岐は今 下知る 五月かな ともよめます)

 

 

※土岐・・・明智光秀の一族

※天が下・・・天下、この世界のこと

※領る・治る・・・領有する。治める。

※下知・・・世の中に号令をかける。命令する。

 

裏の意図の漢字で見ると・・・

 

土岐氏が天下をおさめる五月だ!

 

とも読み取れるのです。その為、この歌は「本能寺の変の決意を事前に歌にしていた!?」と言われるのです。

 

そもそも「連歌」って?「愛宕百韻」って?「旧暦五月」っていつ?

連歌」とは複数人が上の句、下の句をそれぞれ詠んでいき一つの作品にしたものです。そして「百韻」とは百句の歌を一つの作品としたものです。「愛宕」は、京都嵐山より北に上がったところにある山です。標高924m。山頂には愛宕神社があり、全国の愛宕神社の総本山です。愛宕百韻」はその愛宕山で光秀がひらいた連歌会です。メンバーは連歌師や僧侶達でした。そしてこの愛宕百韻が行われたのが、天正10年(1582年)5月24日(28日)。「旧暦五月」今の新暦ですと6月下旬です。まさに梅雨ですね。

今回の光秀の歌は連歌の発句(スタートとなる句)でした。山中に集まったメンバーが、雨の音を聴きながら連歌会をしている姿が目に浮かぶようです。
※当日雨だったかは不明ですが・・・。

 

本当に「本能寺の変の決意を示したものか!?」

「土岐は今 天が下領る(治る) 五月かな」と読み取れば、信長への謀反を胸に詠んでいるように受け取れるのですが、いくつかそうではなかったという説もあります。

 

  • 「しる」→「なる」 だった説  

「しる」は「領る・治る」と考えると、謀反の気持ちが読み取れる重要な単語です。しかし、実は光秀が詠んだのは「なる」だったという説もあります。「なる」ですと治める!という意図がなくなるため、謀反の決意を示した歌とは呼べなくなります。

ちなみに、豊臣秀吉明智光秀を滅ぼした後、この連歌会の参加者に対して厳しい追及があったと言われております。役人がこの歌の書かれた紙を見せて追及したところ、連歌師の里村紹巴は「誰かが改竄している!歌会では“なる”と光秀さんは詠んでましたよ!」と主張し、難を逃れたと言われております。この改竄説は未だ解決しておりません。「し」か?「な」か? この2つの言葉がこの歌の意味の重要な鍵を握っています。

 

この歌を謀反の決意と考えると「五月かな」と言っているが、本能寺の変は実際六月におこっています。なので違うだろ。という説。

「五月」を「五月雨」(旧暦五月頃の梅雨)と考えれば、6月2日におこった本能寺の変も十分範疇に入るのでは?最初は5月!と思っていたが、いいタイミングが6月になっただけ。など、こちらも色々考え方次第ですね。

 

連歌ってことは、それ以外の歌は?

光秀の後に続いた歌の中にも光秀の意図を汲んでいるのではないかと疑われる歌がいくつかあるといわれております。いくつか有名な歌をピックアップします。

連歌のルールもついでに)

 

1   ときは今あめが下しる五月かな 光秀

2   水上まさる庭の夏(松)山      行祐

3   花落つる池の流れ(流れの末)をせきとめて 紹巴

100 国々は猶のどかなるころ    光慶

 

※( )という説もあり。

 

1→「発句」あいさつの句。皆に向かってあいさつするようなイメージ。季語を入れる。お客さんが詠む。

2→「脇句」あいさつを受けて、応えるイメージ。同じ季節を入れる。体言止めにする。招待者が詠む。

3→「第三」発句から脇句の流れを一転させて連歌の流れをつくる。「て」で終える。

100→「挙句」 最後の句。「挙句の果て」の語源。

 

三句より

「花落つる」は、信長の首!?天下!?

「せきとめる」は、信長の政治を止める!?

100句より

信長の天下が終わることで国々がのどかになる!?

 

色々読み取れますね。ただ真相は誰にもわかりません。

 

まとめ

以上、この歌にまつわる説を色々と見てきました。「光秀の謀反の決意」の意図があったかもしれないし、そんなものはなかったところに秀吉が無理矢理こじつけて改竄し、宣伝に使われたのかもしれない。未だ真相は分かっていないですが、NHK大河ドラマはどのように描くのでしょうか?この歌の場面の放映はまだ先なので楽しみです!

日本語は音に漢字が紐づくからこのような説がでてくるんですね。例えば「アメ」は天か雨か。で意味は違う。英語なら「Heaven」か「Rain」。音から全くの別物です。なので歌にも1つの音に2つの意味を持たせたり、隠語や比喩など深い表現ができるんですね~。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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