夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ やまほととぎす
短歌原文
夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ やまほととぎす
なつのよの ゆめじはかなき のちのなを くもゐにあげよ やまほととぎす
柴田勝家 辞世の句
夢路:夢に見ること。夢の中でたどる道。
雲井:雲のあるところ。空。遠く離れたところ。
現代語訳
夏の夜の夢のようであった・・・はかなき人生よ。私の名を空高く後世まで運んでくれ 山ほととぎすよ。
短歌を味わう!
柴田勝家の自刃まで
この歌は柴田勝家という戦国武将が詠んだ歌です。柴田勝家と言えば、あの織田信長の配下として筆頭に挙げられる武将ですね。鬼柴田とも呼ばれ、戦に明け暮れた武将でした。秀吉がまだ羽柴秀吉と名乗っていたペーペーの時代「柴田さんのようになりたいので、名前に【柴】を入れてよろしいですか?」とゴマをすったと言われています。
織田家筆頭としての柴田勝家の人生が大きく変わったのは本能寺の変でした。当時、北陸の上杉家攻略中であった勝家は、本能寺の変の報を聞き、急ぎ京に向かおうとしました。しかし、上杉家の邪魔も入りすぐに動けず。結局、宿敵明智光秀は秀吉が討ち取ることになりました。
本能寺の変で明智光秀を討ち取った秀吉の発言力は大幅に増しました。その勢いをもって秀吉は織田家の後継者を決める会議に臨み、そこで勝家は秀吉に負けてしまいます。映画にもある有名な清州会議ですね。以後、織田家内での勝家派VS秀吉派 の勢力争いが激しくなり、ついに勝家と秀吉は賤ヶ岳の戦いで激突します。結果は・・・秀吉の勝利。秀吉はそのまま敗走する勝家を追い、ついに柴田勝家の居城 北ノ庄城に追い込みます。大軍に囲まれた勝家は200人の部下達と共に立て籠もり、城に火をつけさせました。勝家は妻子を刺し殺し、自ら切腹し、死体を残さず最期を遂げたのでした。享年62歳。今回の歌を人生の最期に残して・・・。
妻お市の歌 と 足利将軍の歌
今回の勝家の歌は、共に亡くなった妻お市(信長の妹。絶世の美女と言われた)の辞世の句に応じた歌と言われています。そこで、お市の歌を紹介したいと思います。
さらぬだに うち寝(ぬ)るほども 夏の夜の 夢路をさそふ 時鳥(ほととぎす)かな
※さらぬだに(然らぬだに):ただでさえも ※ほど:頃合い
「ただでさえ、そろそろ寝る頃なのに・・・。夏の夜に、私を夢の中(死の世界)に誘うほととぎすの声が聞こえますわ。」
この歌から武士の妻の強さを感じるのは私だけでしょうか。「そろそろいつものように寝る頃なのに」と日常の延長として死を捉えているような印象を感じませんか?「寝る」ように「死」を捉える。よほど日ごろから死を意識して生きていないと、この境地には達することができませんね。そして、この歌に勝家は応じるのですが、実は勝家の歌には、元となる歌があります。勝家はその元となる歌を使い、今回の歌を創作しました。それが、第十三代将軍 足利義輝。三好三人衆・松永久秀らに囲まれ、将軍でありながら討ち死にした将軍です。この義輝の辞世の句が以下のものとなります。
五月雨(さみだれ)は 露か涙か 不如帰(ほととぎす) 我が名をあげよ 雲の上まで
「この雨は、はかなき露か私の涙か・・・。ほととぎすよ!私の名前を天高くまで運んでくれ!」
剣豪将軍と言われ、最期まで自ら剣をふるったと言われる義輝と、鬼柴田と言われる勝家。その二人の辞世の句はやはり武人らしいですね。
・男ならこの世に名を残して死にたい。俺はこうして死んでいくが、名前だけは後世に残ってくれ!
・「雲井にあげよ」「我が名をあげよ」と、まるで配下に号令をかけるような口調。
かっこいいですね。これぞ男。いや漢の辞世の句です。
なぜほととぎす?
それにしても、なぜ三人とも「ほととぎす」なのでしょうか?それは、
・夏の鳥であること
・死出の田長(たおさ)と言われ、冥土に通う鳥とされていること
の2点から、ほととぎすが辞世の句にあらわれているのです。
「ほととぎす」ってよく登場するけれど、実際その鳴き声はイメージできますか?
あの信長・秀吉・家康がほととぎすが鳴くのを待ったり、鳴かせてみようとしたり、殺してしまえという歌があるほど、身近な存在のほととぎす。私は「ホーホケキョ」がほととぎすと思っていましたが、これは「うぐいす」です!そこで、ほととぎすの声を聴いてみましょう!
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確かにこの声。窓を開けながら寝る時に、夏の夜の遠くの空から聞こえてきていた・・・気がします。みなさんもほととぎすの声が聞こえないか、耳をすましてみてください。
まとめ
辞世の句は人生総決算の31文字。辞世の句を詠むという日本の文化は本当に素晴らしいことだと思います。後世の私たちに、人生とはどういうものか。死の直前どういうことを思うのか。を教えてくれるようです。勝家は人生を「夢路はかなく」とあらわしています。そして「後の名を雲井にあげよ」とせめてそのはかない人生に勝家ありということよ残ってくれと詠んだのでした。人生とは、夢のようにはかないもの。我々が残せるものはお金や名誉ではなく「何を為したか」ただそれだけ。そういうことを教えてくれるようです。
また、勝家を滅ぼした秀吉にも死は訪れます。秀吉もまた、人生とは夢のようだったと詠んでいますね。
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死を意識して生きる。これが人生を充実させるヒントなのかもしれません。
心に短歌を!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。