天がした 人といふ人 こころあはせ よろづのことに おもふどちなれ
短歌原文
天がした 人といふ人 こころあはせ よろづのことに おもふどちなれ
あめがした ひとといふひと こころあはせ よろづのことに おもふどちなれ
短歌の現代語訳
この時代に生きる人々みんな、心を一つに合わせた仲間であってほしい
天がした→天下、世の中
よろづのこと→「万」、すべてのこと、たくさんのこと
どち→「同志」、仲間
なれ→断定の助動詞「なり」の已然形
孝明天皇の苦悩
日本には国難と呼ばれる時代がいくつかあります。
隋の建国、元寇、黒船、そして先の敗戦。
その時々に強力なリーダーが現れ、国難を乗り越え、日本はここまで続いてきました。
今回の短歌は「黒船」の到来、幕府崩壊、明治維新という国難の時代に、
日本は「開国」か「攘夷」かで意見が分かれました。
そして、天皇を動かして世の中を変えようとする様々な動きの、
まさに渦の中心に孝明天皇はいらっしゃったのでした。
渦の中心で何を思っていたのか・・・。
孝明天皇は、ただただ日本国全体の幸せを願っていたことが、この歌から分かります。
一般的に孝明天皇は、保守的で開国に反対をしていたといわれます。
また、松平容保(会津藩藩主で京都所司代を務めた。最後まで新政府と戦った、幕府側の筆頭に挙げられる人物)への信頼が厚く、松平容保も孝明天皇からいただいた書簡を終生竹筒に入れて首から下げていたと言われております。
幕府側 VS 天皇側(薩摩や長州などの新政府軍)
というような単純構造ではなく、
幕府側 VS 尊王攘夷派
というような構造もこの時代を理解するには全くあてにならない。
尊王や開国・攘夷というものは、幕府側も倒幕側も関係のないものでした。
欧米列強の触手が日本に伸びてきている今、日本をどのような体制で、どういう方向にもっていくか。誰もが国を思い、その手段の違いで争っていたのです。
もちろん孝明天皇も、未曽有の日本の危機に対して、自分なりの意見がありました。
ただ、もう一段高い位置から、国民みんなが力を合わせることを祈っていたのでした。
諸事にあたる政治家と、大きく包み込むような祈りを捧げる天皇陛下。
この2つの車輪がうまく回り日本は多くの国難を乗り越えてきました。
今、新たなウィルスという脅威が日本を今襲っています。
こういう時だからこそ、他人を批判する前に、
天がした 人といふ人 こころあはせ よろづのことに おもふどちなれ
でありたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
心に短歌を!!!