おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも

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和歌原文

おほうみのいそもとどろによするなみわれてくだけてさけてちるかも

大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも

 

源 実朝(鎌倉幕府 第三代将軍)

『金塊和歌集』

 

現代語訳

大海の岩も轟くように寄せる波 

割れて砕けて裂けて散っていることよ

 

おほうみ(大海):大きな海

いそ(磯):波打ちぎわで岩石の多いところ

とどろ(轟):大きな音がとどろきわたる

かも:詠嘆 ~なことよ

 

鑑賞のポイント

源実朝を知る

鎌倉三代将軍 源実朝(さねとも)の歌!

まずこの人物について知っていきましょう!

 

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実朝はみなさんご存知の鎌倉幕府を開いた

源頼朝 と 北条政子 の次男でした。

二代目将軍の兄が追放され、

三代目将軍に就いたのは

実朝12歳の時でした。(今なら小6か中1!)

 

歴史上、「三代目の将軍」は、、、

結構イケイケです。

「我は生まれながらの将軍ぞ!」

と凄んだ徳川家光

南北朝の時代を終わらせた 足利義満

 

しかし、実朝については、みなさんよく知らないのではないでしょうか・・・。

 そう、実朝は「悲運」の将軍だったと

言われております。

  

父である源頼朝がこの世を去ると、

兄の頼家が二代目将軍となります。

しかし若造が政治の中心では心もとないと、

13人の有力な御家人の合議制で政治は動かされることになります。

そうなると、将軍と有力御家人の間でなんだかんだと揉めることもあり、

頼家の後ろ盾であった御家人の比企氏を母方の北条氏が攻め滅ぼし、

兄頼家は将軍職を追放

後に暗殺されてしまいます。

 

そうして三代目将軍となったのが実朝です。

冒頭の通り12歳での就任。

思い通りに政治ができるわけがありません

大人たちの思惑が行き交う政治の中心にいながら、

将軍として生き、度重なる謀反、権力争いなどを乗り越え、

武士で初の右大臣にのぼりつめます。

 

しかし、

たくさんの葛藤があったと思われます。

「当代(実朝)は歌鞠をもって業となす、武芸廃れるに似たり」

なんて言われたり、

「官位を高める必要が、われわれ武士には必要か?」

と武士でありながら高い官位を懐疑的に見られたり。

 

本気で「俺は宋(中国)に行く!」

と言い出し、皆に止められても聞かず、

船を建造して海に浮かべたり。

(うまく浮かばず、あえなく断念)

 

老練な大人たちの中でお飾りの将軍として、

とっても空しい日々を過ごしていたのでした。

 

そのような実朝に突然悲劇が襲います。

 

建保7年(1219年)

雪が積もる夜の鶴岡八幡宮

 

右大臣就任拝賀にやってきた実朝は

約1,000人の武士達を宮の外に待たせ、

お付きの者と参拝にむかった。

 

その丸腰の実朝に突然!

 

「親の敵はかく討つぞ!!」

 

公暁(くぎょう)という青年と数人の仲間が

隠れていた銀杏の木の後ろからあらわれ、

実朝を殺し、首を持ち去ってしまいました。

 

この公卿という青年は兄頼家の子供で出家させられていた自分の甥です。

確かに自分の父は将軍職を追われ殺された。

そして次の将軍になったのが実朝だった。

とはいえ、

直接的な「親の敵」だったとはいえない。

この事件により公卿も殺され、

結局源氏の一族から将軍が出せなくなったことからも

「他に黒幕がいたのか」とも言わております。

 

享年28歳。

それにしても早すぎる死でありました。

 

ちなみに、最近の研究では、実朝はただのお飾りではなく、

積極的に政治に関わっていたとも言われております。

実朝について知るには『吾妻鑑』が詳しいですが、

この書物自体、実朝の死後に鎌倉幕府で権力を握った北条家の治世時のものであり、

北条家寄りに記述されていることを頭に入れて読むべきと言われております。

実朝がどれだけ当時力をもっていたのか・・・。

いずれにしても、源氏の棟梁とはいえ専制政治ができたわけではなく、

北条氏をはじめとした武士たちの中で、苦労は絶えなかったと思われます。

 

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鶴岡八幡宮にて

 和歌を味わう

さて、実朝の人生を垣間見たところで、和歌に戻ります。

実朝にとっての和歌は自分の心を開放できる大切な手段

だったのでしょう。

 

その実朝が冒頭の歌をうたいました。

批評家の小林秀雄は『実朝』にてこうおっしゃっております。

 「こういう分析的な表現が、何が壮快な歌だろうか」

 「これが、ある日悶々として波に見入っていた時の彼の心の嵐の形でないならば、ただの洒落に過ぎまい。そういう彼を荒磯に置き去りにして、この歌の本歌やら類歌やらを求めるのは、心ないわざと思われる。」

 

単なる荒々しい波をうたった歌。 

という印象が、

実朝を知れば知るほど変わってこないだろうか

孤独で、逃げ出したい。

その心うちを実朝は波にどう重ねあわせたのだろうか。

 

その激しく何度もぶつかる勇敢さに勇気をもらった?

われて・砕けて・裂けて・散る その無残さに自分を重ねた?

想い想いにこの歌を味わいたい。

 

人は自然に自分を重ねることがある。

自然と人は原理原則でつながっている。

そう思うと、自分が自然をふと眺める時。

自然を眺めているようで、自分の心の投影を眺めているのかもしれない。

 

そんなことを考えさせられる歌でした。

 

心に和歌を!

お読みいただき。ありがとうございました~