おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし) 楽にならざりぢっと手を見る

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短歌原文

はたらけど

はたらけどなほ わがくらし

らくにならざり ぢつとてをみる

 

はたらけど

はたらけど猶 我が生活

楽にならざりぢつと手を見る

 

石川啄木  『一握の砂』

 

現代語訳

働いても働いても私の暮らしは一向にに楽にならない。じっと手を見る。。。

 

啄木さんインタビュー

石川啄木 略歴】

明治19年1886年岩手県盛岡にうまれる。父はお寺の住職。

16歳 盛岡中学退学、東京で編集者の職を得ようとするも失敗→翌年帰郷。

(同じ学校の先輩には生涯支援をしてくれた親友 金田一京助がいた)

18歳 父が住職を懲戒される。

19歳 節子と結婚。

20歳 故郷渋谷村の代用教員となる。

21歳 教員を辞め、北海道函館の代用教員→新聞社の校正係→小樽日報社に入社するが辞める、単身釧路に行く。

22歳 釧路新聞の編集長格として働くが、小説家を目指し上京。

23歳 朝日新聞社 校正係となる。家族が上京。

24歳 『一握の砂』刊行

26歳 死去

 

 

明治43年(1910年)石川啄木 24歳。

今回の短歌を詠んだ啄木さんに都内の自宅にてインタビュー。

 

こんにちは。本日は宜しくお願いします。

宜しくお願いします。

啄木さんにお会いできて幸栄です!

そうですか。ありがとうございます。

さっそくですが、今回の短歌は生活感が出ているというか。 すごい私も共感できます。 働けど働けど私もお金がないんですよ。

お金を稼ぐということは難しいことですね。

啄木さんは今、何の仕事をされているんですか?

今は『東京朝日新聞』の校正係(文章の誤字や表現の間違いを見つける仕事)や、 新聞歌壇の選者、最近では「二葉亭四迷全集」の校正をしたりしております。 あと歌集の準備もしています。

『一握の砂』ですね!今回の短歌が収録されてますね! 教科書にも出てくるすごい有名な歌集ですよ!

そうですか。。。

(なんかうれしそうじゃない・・・) ところで、お若いのに、一家の大黒柱と伺ってます。 自分なんか同じ年の時には家族を養うなんて全くできませんでしたよ!

(啄木 当時24歳)

妻や娘。そして父母を養わなくてはいけないのです。私もできていません。 でも本当は・・・

本当は?

やはり一人がいいですね。一人で集中し・・・

集中し・・・?

生活の為に働くのではなく、小説を書いていたいんです。 私は小説で有名になりたいのです。

なるほど・・・

小説で有名にならなければ・・・ 私にとって歌は悲しい玩具なんです。

悲しい玩具・・・『悲しき玩具』ですね!

(無視)歌は私の心情をぶつけるもの。

それが後世の人々の心を打つのですよ! 想いが伝わるんです。

そうですか。人生分からないものですね。 今日はもう終わりにしましょう。

あっ、はい。ありがとうございました。

ありがとうございました。

 

文章にて生計を立てることを夢見て生きた啄木さん。
しかし、父の住職懲戒や自身の放蕩、仕事が定まらないことにより、常にお金に困る人生でありました。文章への自信とそれが思うように世に認められない挫折。そこに迫る生活の困窮は、啄木さんを苦悩させ、社会主義への傾倒や放蕩生活につながったと思われます。

また、自分の苦悩を吐き出す場として短歌がありました。
啄木さんは「玩具」や「小生の遊戯」と短歌を位置づけていたが、ありのままの想いをぶつけた短歌が後世に評価されるに至ることは本人にとっては皮肉なことなのかもしれません。

文章を書いても書いても生活が楽にならない。自分の手を見つめる啄木さん。
そこには理想と現実の中で苦しむ姿があります。
後世の私達からみると自業自得だと思う部分もありますが、
少なからず誰しもが啄木さんに共感できる部分があるのではないでしょうか。


自分の理想の人生と現実。そのギャップに真正面から向き合うほど、気持ちが重くなるものですよね。しかし、それでも毎日目の前のことを少しでも改善していきながら生きていくしかないです。その一日一日の積み重ねがいつか現実が理想を越えている場所に自分を立たせてくれるはずである。そう信じて、今日も一日を過ごしいていきましょう!

啄木さんの短歌は、自分の胸の奥にあるものを引き出してくれるようです。

インタビュアー おいどん

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

心に短歌を!