おいどんブログ

和歌・短歌を紹介します!

さびしさに 堪へたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里

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【短歌原文】

さびしさに 堪へたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里

さびしさに たへたるひとの またもあれな いほりならべむ ふゆのやまざと

 

また:他に

あれな:いてほしい

 

西行 『新古今和歌集』627 

【現代語訳】

さびしさに堪えている人が他にもいたらいいなあ。そしたらこの冬の山里に家を並べて住みたいなあ。

 

【さすらいの「元武士」歌人 西行

 この短歌を詠んだ西行さんについては、以前のブログに取り上げましたが、あらためて

簡単に説明します。

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元永元年(1118年)~文治6年2月16日

つまり平安時代末期~鎌倉時代初期に生きた歌人であり僧侶。

もともとは、藤原氏の流れを汲む北面の武士で名は「佐藤義清」といいました。しかし、23歳で出家。友人の突然の死や失恋が原因だったと言われております。

その後、鞍馬山(京都)、奥羽(東北)、高野山(和歌山)、讃岐(香川)、伊勢(三重)、河内(大阪)などあらゆるところに草庵を営みながら人生を過ごした。

北面の武士:京都の上皇が住む館の北側を守る武士

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  旅人×歌人×僧侶×元武士 というすごい掛け合わせの人物なんです。あの松尾芭蕉が尊敬してやまなかったのも西行さん。さすらいの歌人の憧れだったんですね。

 

※以前の短歌リンクはこのブログの最後に貼っておきます。

 

【娘を蹴落として出家】

 冒頭に書いているように西行さんは北面の武士という、上皇を守るすごいエリート武士だったのです。それを友人の死?失恋?により捨てて、出家することを選択しました。その際の有名なエピソードがあります。

 出家を決めた西行さんが家に帰ると「お父さんが帰ってきた!」と4歳の娘が駆け寄りました。「ああかわいいなあ。しかし・・・俺は今から出家する。煩悩を引きずっていではだめだ!」そう考えた西行さんは、なんとその娘を縁側から蹴落としたのです!

これがその場面↓

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西行物語絵巻より

 『西行物語絵巻』の詞書きには以下のようなことが書かれている。

「家へ帰ると、とてもかわいい4歳の娘がお父さんを出迎え、帰ってきたのがうれしいと、袖にとりついた。めちゃくちゃ愛おしく思ったが、煩悩の絆を切る!と思い、縁側より下に蹴落とし、娘は泣いていたが、そのまま家の中に入っていった」

 これは相当な覚悟ですね。西行さんの葛藤やいかに・・・。これだけの覚悟で出家し、さすらいの旅人となったさんは、さびしくなかったのか・・・いやさびしかったんですね。それが今回の短歌でよくわかります。

(ちなみに、この娘蹴落としについては、作り話ではないか。など諸説あります)

 

【庵を並べよう!】

 短歌をもう一度詠んでみましょう。「さびしさに堪へたる人のまたあれな」ここで体現止め。「さびしさに堪えている人が私以外にもいたらなあ」としみじみ想っていることが伝わります。自分で選択した出家の身とはいえ「さびしさ」は耐え難いものだったのでしょう。北面の武士として都会のど真ん中に身を置いていたこと。家族との思い出。色々な場面が頭を駆け巡り、西行さんは筆と紙を取り、短歌にしたためた。そう考えると、この短歌から西行さんの寂しさが迫ってきます。

 しかし、どこか暗さがないのは「庵ならべむ冬の山里」の印象でしょうか。自分と同じように寂しさに堪えている人がもしいたら、この冬の山里にお家(庵)を並べよう。という発想にどこかおもしろさがあります。これが「一人泣きける 冬の山里」「寒さ身に沁む 冬の山里」だったら、寂しさのどん底に落とされるような短歌となります。さすが西行さん!ここで「庵ならべむ」という発想が、この短歌から暗さを取り除いてくれている。(と私は思います)。「俺と同じ境遇の人が、横に暮らしてくれないかなあ。それなら色々話をしたりして寂しさも紛れるのになあ」と。

これぞ修行の成果なのか西行さん!ちなみに下記が、西行庵です↓

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西行庵 奈良県観光公式サイトより

 

【寂しくなったら西行さん】

 さすらいの旅をしながら生きた西行さんはそりゃ寂しいですよね。人里離れて住んでいるし、娘を蹴落として家族を捨てちゃっているし。まして雪なんか降ったら誰も遊びに来ないし。しかし、山に籠ってないとはいえ現代の私たちにとっめも寂しさは無縁のものではありません。大学入学で地元を出てきた。仕事で1人で住まなければならない。もしくは、家族と住んでいるが会話が全くない・・・。あらゆる寂しさがあると思います。その時は、皆さまの周りをよく見渡してください。家族や友人、恋人、同じ学校の人、同じ職場の人。たくさんのご縁の中に自分がいることが分かるはずです。それもスマホがあれば、すぐに繋がれる。繋がれるのに会話ができていないことほどもったいないことはありません。何度も言いますが、西行さんは娘を蹴落としちゃっているし、もう戻るところがないのです。この寂しさやいかに!

 コロナで人の距離が離れ、冬の寒さが寂しい気持ちを増幅させるかもしれませんが、

どうか西行さんのこの短歌を思い出して身近な人と繋がってみてください。「さびしさに堪へたる人のまたあれなLINE送らむ冬の山里」

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

心に短歌を!

 

 

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